童話の中のおじいちゃんみたいに静かに穏やかに暮らしたい。
椎名林檎は高校時代に(たぶん)同じようにバンドをやっていた彼氏がいて、
当時書かれた曲の多くはその彼氏に向けて書かれている。
彼女は椎名林檎としてデビューを果たし、彼は果たせず福岡に残った。
彼は思っただろう、「彼女には才能があり、自分には才能がなかった」と。
でも、最近思う。
絶対的な数値で測れるもの以外に、才能なんてものはたぶん存在しない。
存在したとしても、大した意味を持たない。
差を分けるものは、覚悟だけだ。
表現をどこまでも突き詰める覚悟。
そのために自分を追い込む覚悟。
生活のすべてを表現のために充てる覚悟。
それは同時に、走っている途中で死ぬ覚悟でもある。
きのう全然書けなくて、一日ぼんやりしていたら、テレビで
「ぼくが嵐じゃなかったら」ってCMをやっていて。
CM自体は、ぼくは例え嵐じゃなかったとしても夢を追い続けるだろう、って
前向きな内容だったけれど、ぼくにはそのフレーズだけが浮いて残った。
「ぼくが嵐じゃなかったら」。
「ぼくが“ぼく”じゃなかったら」。
なぜかはわからないけれど、急に疲れてきた。
夜が明けても、その疲れは残っている。
いまの状況を書き残すとすればこんな感じです。
椎名林檎は高校時代に(たぶん)同じようにバンドをやっていた彼氏がいて、
当時書かれた曲の多くはその彼氏に向けて書かれている。
彼女は椎名林檎としてデビューを果たし、彼は果たせず福岡に残った。
彼は思っただろう、「彼女には才能があり、自分には才能がなかった」と。
でも、最近思う。
絶対的な数値で測れるもの以外に、才能なんてものはたぶん存在しない。
存在したとしても、大した意味を持たない。
差を分けるものは、覚悟だけだ。
表現をどこまでも突き詰める覚悟。
そのために自分を追い込む覚悟。
生活のすべてを表現のために充てる覚悟。
それは同時に、走っている途中で死ぬ覚悟でもある。
きのう全然書けなくて、一日ぼんやりしていたら、テレビで
「ぼくが嵐じゃなかったら」ってCMをやっていて。
CM自体は、ぼくは例え嵐じゃなかったとしても夢を追い続けるだろう、って
前向きな内容だったけれど、ぼくにはそのフレーズだけが浮いて残った。
「ぼくが嵐じゃなかったら」。
「ぼくが“ぼく”じゃなかったら」。
なぜかはわからないけれど、急に疲れてきた。
夜が明けても、その疲れは残っている。
いまの状況を書き残すとすればこんな感じです。
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