ちょと早いけどもう寝ます。ここのところ体調悪くて家に帰ったら即ベッドに倒れこむ毎日です。すっかり朝風呂派に。朝お風呂に入ると体がほぐれていいですね。ただ、午後にはもうバキバキなんだけど。ああ、肩が痛い…。マッサージ行きたいな。
「絶好調だね」っていろんな人に言われる、でも順調そうに見える仕事も実はシャンパンタワーみたいに少しでもバランスを崩してしまうとあっという間にすべてが崩れ落ちてしまうことをぼくは知っている、その日が来るのが明日かも知れない、数年たっても来ないかも知れない、けれど、いつかは必ず来る、永遠に続くシャンパンタワーなんて存在しないのだから。
「幸福」って結局「快楽」のことなんじゃないかと思う。そして「肉体的快楽」に「精神的快楽」が伴った時が最も幸福な状態なんじゃないか、と。で、90年代の初めまでは「消費」が「幸福」であり、その寒さに気づいた人や消費し続けることが叶わなくなった人たちが「関係性」に、特に「恋愛」に流れていった、でも、「恋愛の時代」は今や終わろうとしていて(恋愛もまた大きな意味では「消費」に他ならなかったから、たぶん)、大きな流れが「仕事の時代」に移行しているように思える。「仕事」をテーマにしたコンテンツがおそらく次に来る、問題はどうやってそれをエンターテインメントに仕上げてゆくか、たぶん多くのクリエイターが入口の前に立っている、誰が新しいドアを開けるのか、自分でありたいと思う、でもそのためには頭も体もぼろぼろになるまで酷使しなければならない。
ぼくの肉体には3265150 本の神経がある!その1本1本にバイオリンの弦を結ばせるんだ!その3265150 本のバイオリンの弦がぼくの体から四方八方に伸びていく!そして3265150 本のバイオリンの弓を持った3265150 人の孤児たちが、ぼくの弦をこするんだ!ああ、それこそが世界の痛みだ!それが苦悩の音楽だ!ああ、子どもたちの痩せた腕!ああ、ぴんと張ったぼくの神経!すべての孤児と不遇な者たち、すべて虐げられ辱められた者たちよ、ぼくの体で演奏するがいい!そしてみんなの痛みを、ぼくの痛みとするがいい!
(ソローキン「ドストエフスキー・トリップ」)
「絶好調だね」っていろんな人に言われる、でも順調そうに見える仕事も実はシャンパンタワーみたいに少しでもバランスを崩してしまうとあっという間にすべてが崩れ落ちてしまうことをぼくは知っている、その日が来るのが明日かも知れない、数年たっても来ないかも知れない、けれど、いつかは必ず来る、永遠に続くシャンパンタワーなんて存在しないのだから。
「幸福」って結局「快楽」のことなんじゃないかと思う。そして「肉体的快楽」に「精神的快楽」が伴った時が最も幸福な状態なんじゃないか、と。で、90年代の初めまでは「消費」が「幸福」であり、その寒さに気づいた人や消費し続けることが叶わなくなった人たちが「関係性」に、特に「恋愛」に流れていった、でも、「恋愛の時代」は今や終わろうとしていて(恋愛もまた大きな意味では「消費」に他ならなかったから、たぶん)、大きな流れが「仕事の時代」に移行しているように思える。「仕事」をテーマにしたコンテンツがおそらく次に来る、問題はどうやってそれをエンターテインメントに仕上げてゆくか、たぶん多くのクリエイターが入口の前に立っている、誰が新しいドアを開けるのか、自分でありたいと思う、でもそのためには頭も体もぼろぼろになるまで酷使しなければならない。
ぼくの肉体には3265150 本の神経がある!その1本1本にバイオリンの弦を結ばせるんだ!その3265150 本のバイオリンの弦がぼくの体から四方八方に伸びていく!そして3265150 本のバイオリンの弓を持った3265150 人の孤児たちが、ぼくの弦をこするんだ!ああ、それこそが世界の痛みだ!それが苦悩の音楽だ!ああ、子どもたちの痩せた腕!ああ、ぴんと張ったぼくの神経!すべての孤児と不遇な者たち、すべて虐げられ辱められた者たちよ、ぼくの体で演奏するがいい!そしてみんなの痛みを、ぼくの痛みとするがいい!
(ソローキン「ドストエフスキー・トリップ」)
コメント
わたしも、クリエイターでは無いですが、
仕事っていうか、″自己実現″っていうテーマは
そのうち、来ると言う気がしてます。
高度成長期とかの、
会社人間でイケイケドンドンな″社会的自己実現″
から脱皮して、個人としての成長スピードも加味
された、新しい時代の自己実現モデル、が模索されている
ような気がします。個人の自己実現っていうのは
会社の枠とかでの肩書や、分かりやすい実績が
無い場合も多いから、難しいんですけどねー。
資格も流行りましたしねー、ネットワークビジネスも
飽和状態ですんで、次は何がくるんでしょー。笑。
クリエイターの皆様に期待しまーす!
レッドアイさんにそう言われると励まされます!頑張ります。