午後2時まで寝てたらもう日がかたむいてました。
こういう時ってえもいわれぬさびしい気持ちになりますね。
最近、漢字よりひらがなの方が自分の気持ちに近い気がしてきた。
「寝倒した」じゃなく「ねたおした」。
「淋しい」じゃなく「さびしい」。
若い頃っていきがって難しい漢字を使いたがってた気がするけど、所謂とか、そういうのって全然気持ちをあらわせてないよね、たぶん、人は漢字でものを考えない。漢字は何だか思考の大切なところをショートカットしてしまっている気がする、だからぼくらは英語やフランス語を母国にする人よりもつきつめてモノを考えられないのかな、とか、知的レベルは明らかに同じくらいのフランス人がなぜカントを読みこなせるのに日本人は出来ないのか、って考えたときに漢字の存在が大きい気がする。漢字に置き換えられた単語って、なんだか死んだ魚みたい。リアリティがない、っていうか実感できない。概念そのものをあらわせてない気がする。概念ってことばも漢字だけど、そもそも「概念」ってなんだかすでによくわからないもんね。気持ちがこもってない。
ということで、今度こそ真面目に英語を勉強しようと思うきょうこの頃です。
こういう時ってえもいわれぬさびしい気持ちになりますね。
最近、漢字よりひらがなの方が自分の気持ちに近い気がしてきた。
「寝倒した」じゃなく「ねたおした」。
「淋しい」じゃなく「さびしい」。
若い頃っていきがって難しい漢字を使いたがってた気がするけど、所謂とか、そういうのって全然気持ちをあらわせてないよね、たぶん、人は漢字でものを考えない。漢字は何だか思考の大切なところをショートカットしてしまっている気がする、だからぼくらは英語やフランス語を母国にする人よりもつきつめてモノを考えられないのかな、とか、知的レベルは明らかに同じくらいのフランス人がなぜカントを読みこなせるのに日本人は出来ないのか、って考えたときに漢字の存在が大きい気がする。漢字に置き換えられた単語って、なんだか死んだ魚みたい。リアリティがない、っていうか実感できない。概念そのものをあらわせてない気がする。概念ってことばも漢字だけど、そもそも「概念」ってなんだかすでによくわからないもんね。気持ちがこもってない。
ということで、今度こそ真面目に英語を勉強しようと思うきょうこの頃です。
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