出来ない、って考え方もある。
でも、出来てしまう、って考え方もあると思う。
たとえば。
ある女の人が普通に街を歩く。それだけのことで。
その女の人に見とれて、ひとりのサラリーマンが電車を乗り過ごす。
彼と会うはずだったクライアントは怒って帰ってしまう。
出るはずだった新商品が出なくなり、会社の業績が悪化する。
株価が下落し、それが連鎖を生み、世界同時株安が起きて…。
なんてことも、ないとはいえない。
いや、むしろ、そこまで極端じゃなく、
ごくごく些細な出来事を含めれば、
ぼくたちは、ひとりひとりが、存在することで、ただそれだけで、
世界を変えてしまっている。
そんな気がする。
怖いことでもあるけれど、そこには希望もあるように思える。
少なくとも、
「私が存在しなかったら、この世に存在しなかったものを作らなくては!」
なんてふうに、思いつめてしまう必要はないのかもね。


コメント

れんげ
2010年11月3日0:45

お元気ですか?

歴史の変化の振れには、台風の進路予測のように、ある程度の幅しかない。
…と言うのが、わたしの卒論テーマでした(笑)

redeye-yan
2010年11月3日23:20

こんにちわ。

世界を変える。と言うのはとてもスケールが大きくて、
私はそこまでのスケールは無い・・・(笑)と、尻込みして
しまいそうですが、少なくとも、「空間」を変えているなあと
思います。自分が存在することによって、ある「空間」
の、なんというか、「密度」が変わる気がする。
感覚的なものですがっ。

ぱでぃ
2010年11月4日1:42

れんげさん
ありがとうございます。元気なのかな。健康ではあります。
卒論、読んでみたいです。いま考えてることとすごく似てそうで。

レッドアイヤンさん
そうですよね!そんな感じです。
ある人がいるかいないかで、世界は絶対にかたちを変える。
誰かが何かをする、些細なひとつひとつの積み重ねが、
世界を成立させている。そんな感じ。


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