結局は「切り取り方」がすべてなんじゃないか?
「細部」なんてあまり気にされていない。
ダヴィンチの画が細部まで描かれていなかろうが、
モナリザが未完成であろうがなかろうが、
見ている人はダヴィンチの切り取る「世界観」に敬服し、感動する。
過度のこだわりは作り手の自己満足に過ぎない。
15分のVTRを10分に縮めるディレクターは、
「仕事をした」つもりかもしれないけれど、
その行為が作品にとってよかったかどうか、確かめる術はない。
同時に2つを見比べることは出来ないからね。
いったい、作品をつくることにおいて何が正しいんだろうか。
「細部」なんてあまり気にされていない。
ダヴィンチの画が細部まで描かれていなかろうが、
モナリザが未完成であろうがなかろうが、
見ている人はダヴィンチの切り取る「世界観」に敬服し、感動する。
過度のこだわりは作り手の自己満足に過ぎない。
15分のVTRを10分に縮めるディレクターは、
「仕事をした」つもりかもしれないけれど、
その行為が作品にとってよかったかどうか、確かめる術はない。
同時に2つを見比べることは出来ないからね。
いったい、作品をつくることにおいて何が正しいんだろうか。
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