相変わらず上がったり下がったりの日々。でも周りにはそう見えてないんだろうなぁ…。
ここ数年、生活の中心を「企画書を書くこと」に置いていて、そこだけにシリアスだったら、あとはどんなに不真面目でもいいんじゃないか、と思ってきたけれど、もう無理だな、という気がここのところずっとしていて。たぶんそれがいまの上がったり下がったりの原因ではないかと思います。先日書いた企画書も、面白いとは思うんだけど、なんか小手先なんだよな…。シリアスに詰められてない。
この前、会社に入ってから通した企画を数えたら50本くらいあって、もういいんじゃないか、と思ってる自分がいて。シリアスになる対象をそろそろ変えてみたい、というのが素直なところです。一度離れて見ればまた見えることもあるだろうし。40でいろいろなものを失ってから、仕事にのめりこんできたけど、ちょっと俯瞰の目で物事を見てみたい。もちろん、やることはやりますが。
先日、トラブル処理で日帰りで奈良に出張して、無事解決したので東大寺ミュージアムに立ち寄ったんですが、日光・月光がとにかくスゴかった…。これが1000年以上前に作られただなんて、どういうこと?って、思わず茫然と立ち尽くしてたら、修学旅行の中学生たちも同じように呆然と見つめていて。
たぶん、何の知識もなくても、「コレは他のモノと全然違う!」ってことはわかるんだな、って思った。「絶対的にスゴイもの」って存在するんだな、って。ぼくはこれまで、そうスゴくないものを、スゴく見せることに腐心してきたけれど、これからはそうじゃなくって、誰からも見過ごされることのない、絶対的な「何か」を持ったもの、そういうものを作らなきゃ、作れなくても志向しなきゃいけない気がする。
このところずっと「コレラの時代の愛」を読んでました。面白かった。読み終わるのが勿体ないくらい。ストーリー展開もさることながら、細かな描写もすばらしくて、あと、魅力的なフレーズの宝庫でした。
「言葉というものは、何かを売ろうとすれば覚えなければならないけれど、何かを買う場合には何を言っても通じるものなのよ」とか、
「私は金持ちじゃない、金のある貧乏人なんだか、この二つはまったく別物だよ」とか、
「人間はセックスする人間とそうでない人間の二種類に分けられる」とか。
さらにスゴイのは、こういうフレーズが、独立したものではなくて、きちんと物語のキーになってること。めっちゃ緻密です。
一方で、こうも思います。絶対的な幸福も絶対的な不幸もない。あるのは小さな小さな「いま」だけです。でも、その小さな小さな「いま」を積み重ねることでしか、「絶対」に近づくことは出来ない。そのことを忘れてはいけない。いまの脆さ、儚さに絶望してはならない。
ここ数年、生活の中心を「企画書を書くこと」に置いていて、そこだけにシリアスだったら、あとはどんなに不真面目でもいいんじゃないか、と思ってきたけれど、もう無理だな、という気がここのところずっとしていて。たぶんそれがいまの上がったり下がったりの原因ではないかと思います。先日書いた企画書も、面白いとは思うんだけど、なんか小手先なんだよな…。シリアスに詰められてない。
この前、会社に入ってから通した企画を数えたら50本くらいあって、もういいんじゃないか、と思ってる自分がいて。シリアスになる対象をそろそろ変えてみたい、というのが素直なところです。一度離れて見ればまた見えることもあるだろうし。40でいろいろなものを失ってから、仕事にのめりこんできたけど、ちょっと俯瞰の目で物事を見てみたい。もちろん、やることはやりますが。
先日、トラブル処理で日帰りで奈良に出張して、無事解決したので東大寺ミュージアムに立ち寄ったんですが、日光・月光がとにかくスゴかった…。これが1000年以上前に作られただなんて、どういうこと?って、思わず茫然と立ち尽くしてたら、修学旅行の中学生たちも同じように呆然と見つめていて。
たぶん、何の知識もなくても、「コレは他のモノと全然違う!」ってことはわかるんだな、って思った。「絶対的にスゴイもの」って存在するんだな、って。ぼくはこれまで、そうスゴくないものを、スゴく見せることに腐心してきたけれど、これからはそうじゃなくって、誰からも見過ごされることのない、絶対的な「何か」を持ったもの、そういうものを作らなきゃ、作れなくても志向しなきゃいけない気がする。
このところずっと「コレラの時代の愛」を読んでました。面白かった。読み終わるのが勿体ないくらい。ストーリー展開もさることながら、細かな描写もすばらしくて、あと、魅力的なフレーズの宝庫でした。
「言葉というものは、何かを売ろうとすれば覚えなければならないけれど、何かを買う場合には何を言っても通じるものなのよ」とか、
「私は金持ちじゃない、金のある貧乏人なんだか、この二つはまったく別物だよ」とか、
「人間はセックスする人間とそうでない人間の二種類に分けられる」とか。
さらにスゴイのは、こういうフレーズが、独立したものではなくて、きちんと物語のキーになってること。めっちゃ緻密です。
一方で、こうも思います。絶対的な幸福も絶対的な不幸もない。あるのは小さな小さな「いま」だけです。でも、その小さな小さな「いま」を積み重ねることでしか、「絶対」に近づくことは出来ない。そのことを忘れてはいけない。いまの脆さ、儚さに絶望してはならない。
コメント