3月3日の日記

2012年3月3日 日常
整理すると。

・心がぐらぐら揺れている状態よりも、心おだやかな状態の方が気が楽なのは、自分でもわかっている。

・けれど、「食べて、寝て、耕して、それで幸せ!」みたいな生活は現実には得られないし、ぼくが生活するためには、今いる場所でなにかを「生産」するしかない。そして、心おだやかな状態では生産なんてできない。

・心おだやかな状態とは、たぶん、身の回りのことすべてが言語で説明できるか、あるいは、言語で説明できないことが存在することが気にならない、という状態だと思う。その状態では、欠けたものは何もない。

・ものを生産するということは、たぶん何らかの「欠けたもの」が目の前にあって、その欠けたものを埋めようとするか、あるいは「そこに欠けたものがある」ということを提示することで、共同体に貢献しようとする作業なのだと思う。

・そのためには、欠如を認識しなければならない。そして、いったん欠如を認識してしまえば、人は平静ではいられなくなる。

・ぼくが、心穏やかな状態を求めながらも得られないのは、たぶん、いつもなにかを生産しようとしているからだと思う。それをやめればいいのかもしれない。でも、そうしたらぼくには他にすることがない。「ぼくがぼくでなくなる」ことは別にかまわない、けれど、することがないまま、残りの人生を過ごすには、人生はあまりにも長すぎるように思える。

・だからぼくは、このまま続けるしかない。心をぐらぐら揺らしながら。ようやくその覚悟が出来た。とりあえず、これから月曜日締め切りの「宿題」にとりかかります。明日は仕事だからあと6時間は考えられるかな。


血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉つてしまつたもののやうに
そこから繰れる一つの緒もないもののやうに
燃ゆる日の彼方に睡る。

私は残る、亡骸として―
血を吐くやうなせつなさかなしさ。


夏 / 中原中也




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