久しぶりに喘息の大きな発作を経験。
朝から何となく具合が悪かったんだけど、
熱もないし痛いところもないので放置していたら、
夜中、突然喘息の症状とともに息が苦しくなって。
朝になったら病院行こうと思って横になったら、
今度は息をするのが難しいような状態に。
あわててPCで救急やってる病院を検索し、
電話してみたら今度は声がでない。
「ぜんそくで」「いきがでない」と言うのと、
自分の名前を言うのがやっと。
救急車を呼ぶと時間かかりそうなのでタクシー止めて病院へ。
途中何度か気を失いそうになりながら、何とか病院に着いたら
車いすが待っていてくれて、看護師さんに車いすに乗せてもらって
受付してたら「前回も喘息の発作でしたね」って言われた。
カルテが残ってて、10年前だった。
そうだ、仕事してたら、急に呼吸が苦しくなって、意識を失いかけて、
同僚に会社からタクシーに乗せられて病院に行ったんだ、って思い出した。
同じ病院だった。
すぐに先生が来て、薬の吸入、鼻からの酸素吸入、点滴。
血圧が上が70になってて、もう少しで気絶するとこだったらしい。
そしたら危なかったかも。そこまでひどいとは思わなかったけど、
もしかしたら死ぬのかな、とはちょっと思った。
10年前も、ああこのまま死ぬのかなあ、と思ったけど、
それもありかなあ、とか考えてた気がする。
でも、今回は、ちょっとまだ死ねないなあ、と思った。
死にたくないなあ、って。
この10年のあいだ、つらいことがいろいろあったり、
人を傷つけたことや謝っても謝りきれないことが積み重なって、
すべてに「絶望」した気になっていたけど、
あの地震を経て思った、
ぼくが感じていたのは「絶望」なんかじゃなかった、
単なる「失望」でしかなかった、
あまりにも巨大な「絶望」を抱えている人たちを前に、
ぼくは「絶望」なんて言いながら生きてきたことがおこがましい気がして、
ただただやれることをやるしかない、やりきるしかないと思った、
そして、喘息で息が出来なくて、
どんどん気が遠くなってゆくタクシーの中で、
まだ、ぼくは、やりきれていない気がする、と思った。
もう少し生きて、やるべきことをやりたい、と。
適切な治療のおかげで呼吸が楽になり、明け方には回復。
綺麗な朝焼けの中を、吸入器を片手に歩きながら、
もしかしたらそう考えられるようになっただけでも、
ぼくの10年には意味があるのかも知れないと、
そんなふうに思いました。
うまくまとまりませんが、そんなことがありました。
朝から何となく具合が悪かったんだけど、
熱もないし痛いところもないので放置していたら、
夜中、突然喘息の症状とともに息が苦しくなって。
朝になったら病院行こうと思って横になったら、
今度は息をするのが難しいような状態に。
あわててPCで救急やってる病院を検索し、
電話してみたら今度は声がでない。
「ぜんそくで」「いきがでない」と言うのと、
自分の名前を言うのがやっと。
救急車を呼ぶと時間かかりそうなのでタクシー止めて病院へ。
途中何度か気を失いそうになりながら、何とか病院に着いたら
車いすが待っていてくれて、看護師さんに車いすに乗せてもらって
受付してたら「前回も喘息の発作でしたね」って言われた。
カルテが残ってて、10年前だった。
そうだ、仕事してたら、急に呼吸が苦しくなって、意識を失いかけて、
同僚に会社からタクシーに乗せられて病院に行ったんだ、って思い出した。
同じ病院だった。
すぐに先生が来て、薬の吸入、鼻からの酸素吸入、点滴。
血圧が上が70になってて、もう少しで気絶するとこだったらしい。
そしたら危なかったかも。そこまでひどいとは思わなかったけど、
もしかしたら死ぬのかな、とはちょっと思った。
10年前も、ああこのまま死ぬのかなあ、と思ったけど、
それもありかなあ、とか考えてた気がする。
でも、今回は、ちょっとまだ死ねないなあ、と思った。
死にたくないなあ、って。
この10年のあいだ、つらいことがいろいろあったり、
人を傷つけたことや謝っても謝りきれないことが積み重なって、
すべてに「絶望」した気になっていたけど、
あの地震を経て思った、
ぼくが感じていたのは「絶望」なんかじゃなかった、
単なる「失望」でしかなかった、
あまりにも巨大な「絶望」を抱えている人たちを前に、
ぼくは「絶望」なんて言いながら生きてきたことがおこがましい気がして、
ただただやれることをやるしかない、やりきるしかないと思った、
そして、喘息で息が出来なくて、
どんどん気が遠くなってゆくタクシーの中で、
まだ、ぼくは、やりきれていない気がする、と思った。
もう少し生きて、やるべきことをやりたい、と。
適切な治療のおかげで呼吸が楽になり、明け方には回復。
綺麗な朝焼けの中を、吸入器を片手に歩きながら、
もしかしたらそう考えられるようになっただけでも、
ぼくの10年には意味があるのかも知れないと、
そんなふうに思いました。
うまくまとまりませんが、そんなことがありました。
コメント
わたしも地震を経過して、
遠からず似たようなことを
思っています。
10年前のカルテ残ってるもの
なんですねえ(・ω・;)
さいきんは、セキュリティも
厳しいので、時間が経過した
ものはどんどん廃棄される
と思ってました。
どうぞお体お大事になさってください。
ぱでぃさんがやるべきことをやりきり、その後もつづく生をやりきりながら、
壮大な自省録をいろいろなかたちでお書きになるのを、
ずっと読むことができたら幸せです! たくさん長生きしてください。
上が70とは。つらいですよね…。
今日はありがとうございました。助かりました。
ありがとうございます。
残ってましたよ…。おかげでいろいろ思い出しました。
ありがとうございます!
ぼくも颯子さんの作品、たくさん読みたいので
長生きします!
役に立てたらよかったです。
大変でしたね…。