8月4日の日記

2013年8月3日 日常
自分が古くなっているのではないかという不安に苛まれている。

先輩たちがそうであったように、古くなった人たちは、
自分がもはや古くなってしまったということに気がつかない。
けれど、受け取る側は敏感に気づいている。
文体が、形式が、世界観が、すべてが古くなっていることに。

古くなることはいけないことだろうか。

もし古くなっていることを自覚し、そのうえで、
古くなってゆく側、古いものを求める側に立とうとするならば、
それはひとつの生き方として立派だと思う。

けれどもし、自分が古くなっていることを自覚していないとしたら、
それはたぶん、ふたつの意味でいけないことなんだと思う。

ひとつは、対象が見えていない、という点で。
古くなることで、対象はどんどん狭くなる。
きのうばかり振り返っている人には、古い表現が心地よく思えても、
今しか見えてない人たちには、古い表現は響かない。
新しく来る人たちに響かない表現は、やがて価値を失ってゆく。

もうひとつは、「本物」ではなかった、という点で。
本物は古くならない。
漱石の「坊ちゃん」も、プラトンの「饗宴」も、
いま読んでも全然古くない。
坊ちゃんなんか半沢直樹だし、饗宴なんてデスノートだし。
キアロスタミの「友だちの家はどこ」が、
「あまちゃん」に大きな影響を与えたように、
「古くならない」表現は、新しい表現に命の息吹をもたらすことが出来る。

ああ、古くなりたくないな。
古くなっていたくないな。
いつまでも、どこか懐かしく、けれど今まで見たことのない、
そんな表現を志向してゆきたい。
届かないうちに古くなってしまいたくはない。

もっとがんばらなきゃ。


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