そういえば、ことしの誕生日は、
ぼくが人生でいちばん好きな小説が、
日本でいちばん好きな作家によって翻訳され
文庫化される、という記念すべき日でもありました。
ある意味最高の誕生日プレゼントでした。

サリンジャー「フラ二―とズーイ」、村上春樹訳。
何度も繰り返し読んだ野崎訳「フラ二―とゾーイー」
と違って引っかかりなくすらすら読める感じで
(野崎訳の「これ以上話せないよ、きみ」も好きでしたが)
小説世界そのものにすっと入っていけたからか、
自分がなんでこんなに厭味ったらしくて、
場面転換もなくて、登場人物がずっと演説ぶってるだけの
小説を、ずっと宝物のようにして繰り返し読んできたのか、
ようやくわかった気がしました。

「フラ二―とズーイ」は、
「救いの言葉」の物語であるとともに、
誰かが誰かを「救おう」とする「宗教的行為」の物語で、
もちろんその内容にも心打たれるのだけれど、
もうひとつ、この物語は、
たぶん作者であるサリンジャー自身にとっても
自分自身を「救おう」とする物語になっている、
だからこそこの小説には、
「書くことの切実さ」があふれている。
こんなにも切実に「自分自身のために」書かれた物語を、
ぼくは他に読んだことがない。

うまく言えないけど、そんなところに、
ぼくはずっと魅かれているのだと思います。

コメント

颯子
2014年3月22日23:19

おー、秘密を教えてくれてありがとうございます! ある作品について切実さがないとかあるとか、日常生活のなかで安易に言ってるのにもかかわらず、その切実さが一体どこからやってくるものなのか、それについてわたしは全然わかってなかったのだと思います。春樹訳でも読んでみまーすっ。

ぱでぃ
2014年3月22日23:30

「切実」でありかつ「身近」でもあるとこですかね。フラ二ーの気持ちめっちゃわかるし。春樹訳読みやすいですよ!よければぜひ。

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