そういえば、ことしの誕生日は、
ぼくが人生でいちばん好きな小説が、
日本でいちばん好きな作家によって翻訳され
文庫化される、という記念すべき日でもありました。
ある意味最高の誕生日プレゼントでした。
サリンジャー「フラ二―とズーイ」、村上春樹訳。
何度も繰り返し読んだ野崎訳「フラ二―とゾーイー」
と違って引っかかりなくすらすら読める感じで
(野崎訳の「これ以上話せないよ、きみ」も好きでしたが)
小説世界そのものにすっと入っていけたからか、
自分がなんでこんなに厭味ったらしくて、
場面転換もなくて、登場人物がずっと演説ぶってるだけの
小説を、ずっと宝物のようにして繰り返し読んできたのか、
ようやくわかった気がしました。
「フラ二―とズーイ」は、
「救いの言葉」の物語であるとともに、
誰かが誰かを「救おう」とする「宗教的行為」の物語で、
もちろんその内容にも心打たれるのだけれど、
もうひとつ、この物語は、
たぶん作者であるサリンジャー自身にとっても
自分自身を「救おう」とする物語になっている、
だからこそこの小説には、
「書くことの切実さ」があふれている。
こんなにも切実に「自分自身のために」書かれた物語を、
ぼくは他に読んだことがない。
うまく言えないけど、そんなところに、
ぼくはずっと魅かれているのだと思います。
ぼくが人生でいちばん好きな小説が、
日本でいちばん好きな作家によって翻訳され
文庫化される、という記念すべき日でもありました。
ある意味最高の誕生日プレゼントでした。
サリンジャー「フラ二―とズーイ」、村上春樹訳。
何度も繰り返し読んだ野崎訳「フラ二―とゾーイー」
と違って引っかかりなくすらすら読める感じで
(野崎訳の「これ以上話せないよ、きみ」も好きでしたが)
小説世界そのものにすっと入っていけたからか、
自分がなんでこんなに厭味ったらしくて、
場面転換もなくて、登場人物がずっと演説ぶってるだけの
小説を、ずっと宝物のようにして繰り返し読んできたのか、
ようやくわかった気がしました。
「フラ二―とズーイ」は、
「救いの言葉」の物語であるとともに、
誰かが誰かを「救おう」とする「宗教的行為」の物語で、
もちろんその内容にも心打たれるのだけれど、
もうひとつ、この物語は、
たぶん作者であるサリンジャー自身にとっても
自分自身を「救おう」とする物語になっている、
だからこそこの小説には、
「書くことの切実さ」があふれている。
こんなにも切実に「自分自身のために」書かれた物語を、
ぼくは他に読んだことがない。
うまく言えないけど、そんなところに、
ぼくはずっと魅かれているのだと思います。
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