もうひとつ。
「坊ちゃん」は
ハッピーエンドではない。
「坊ちゃん」は滅びの物語だ。
「坊ちゃん」は校長たちを「成敗」した後、
東京に戻り、都電の運転手になる。
もはや「坊ちゃん」ではない。
「惡」は滅びない。
「坊ちゃん」は新時代の正義を代弁しておらず、
「古き良き時代」の遺物でしかない。
現実社会に「坊ちゃん」の居場所はない。
恐ろしいほどに今の日本に似た閉塞感を、
「坊ちゃん」「三四郎」「それから」
までの漱石作品は描いているように思う。
「ストレイシープ」とつぶやく美禰子は
自分の何かが終わってゆくのを感じているし、
都電の中で「ああ動く、世の中が動く」と
大きな声でひとりごちた代助は
「終わりの始まりの祝祭」を感じている。
いまの言葉で言えばちょっと中二病入ってるけど。
漱石が病気にならなければ、
「門」はあんなふうな作品にはならなかったんだろうな、
という気がする。
漱石もまた自分自身の切実さを抱えて
「書くことで救われた」作家だったんじゃないかな。
サリンジャーみたく。
「坊ちゃん」は
ハッピーエンドではない。
「坊ちゃん」は滅びの物語だ。
「坊ちゃん」は校長たちを「成敗」した後、
東京に戻り、都電の運転手になる。
もはや「坊ちゃん」ではない。
「惡」は滅びない。
「坊ちゃん」は新時代の正義を代弁しておらず、
「古き良き時代」の遺物でしかない。
現実社会に「坊ちゃん」の居場所はない。
恐ろしいほどに今の日本に似た閉塞感を、
「坊ちゃん」「三四郎」「それから」
までの漱石作品は描いているように思う。
「ストレイシープ」とつぶやく美禰子は
自分の何かが終わってゆくのを感じているし、
都電の中で「ああ動く、世の中が動く」と
大きな声でひとりごちた代助は
「終わりの始まりの祝祭」を感じている。
いまの言葉で言えばちょっと中二病入ってるけど。
漱石が病気にならなければ、
「門」はあんなふうな作品にはならなかったんだろうな、
という気がする。
漱石もまた自分自身の切実さを抱えて
「書くことで救われた」作家だったんじゃないかな。
サリンジャーみたく。
コメント
(^^;)