もうひとつ。

「坊ちゃん」は
ハッピーエンドではない。
「坊ちゃん」は滅びの物語だ。
「坊ちゃん」は校長たちを「成敗」した後、
東京に戻り、都電の運転手になる。
もはや「坊ちゃん」ではない。
「惡」は滅びない。
「坊ちゃん」は新時代の正義を代弁しておらず、
「古き良き時代」の遺物でしかない。
現実社会に「坊ちゃん」の居場所はない。

恐ろしいほどに今の日本に似た閉塞感を、
「坊ちゃん」「三四郎」「それから」
までの漱石作品は描いているように思う。
「ストレイシープ」とつぶやく美禰子は
自分の何かが終わってゆくのを感じているし、
都電の中で「ああ動く、世の中が動く」と
大きな声でひとりごちた代助は
「終わりの始まりの祝祭」を感じている。
いまの言葉で言えばちょっと中二病入ってるけど。

漱石が病気にならなければ、
「門」はあんなふうな作品にはならなかったんだろうな、
という気がする。
漱石もまた自分自身の切実さを抱えて
「書くことで救われた」作家だったんじゃないかな。
サリンジャーみたく。

コメント

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2014年4月4日9:03

そうじゃない物書きなんて存在するんでしょうか?
(^^;)

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