年々大きな感情の揺れに耐えられなくなってきていて、
オリンピックも羽生くんのとか小平さんのとかは
痛々しくてリアルタイムで見ることが出来ませんでした。
だって物事に「絶対」はないし、
もし思った通りの結果が出なかったときに
アナウンサーが無神経に「残念な結果でした」とか
声をかけるんだろうな、と思うと気が気じゃなくて、
っていうかそのシーンを想像しただけで泣けてきそうで、
でもいい結果が出てよかったです。
女子フィギュアとか、ハーフパイプとか、カーリングとか
そのあたりの日本中の「絶対」を背負ってない競技は
純粋に楽しめました。
なんなんだろうなこれ。
勝手に自分以外の誰かに期待して、
思ったとおりの結果にならなくて、
その結果自分以外の誰かがつらそうにしているのを見るのが嫌なんだろうか、
いや、そんなまっとうな人間じゃないから
そういうことじゃないな、
たぶん自分の中で強い感情がわきあがることがこわいんじゃないかな、
これが年齢的なものなのか、
一時的なバイオリズムの問題なのかはわからないけれど、
穏やかに日々を過ごしたい、
何かに心をかき乱されたくない、という思いが
日々強くなっている気がします。
オリンピックも羽生くんのとか小平さんのとかは
痛々しくてリアルタイムで見ることが出来ませんでした。
だって物事に「絶対」はないし、
もし思った通りの結果が出なかったときに
アナウンサーが無神経に「残念な結果でした」とか
声をかけるんだろうな、と思うと気が気じゃなくて、
っていうかそのシーンを想像しただけで泣けてきそうで、
でもいい結果が出てよかったです。
女子フィギュアとか、ハーフパイプとか、カーリングとか
そのあたりの日本中の「絶対」を背負ってない競技は
純粋に楽しめました。
なんなんだろうなこれ。
勝手に自分以外の誰かに期待して、
思ったとおりの結果にならなくて、
その結果自分以外の誰かがつらそうにしているのを見るのが嫌なんだろうか、
いや、そんなまっとうな人間じゃないから
そういうことじゃないな、
たぶん自分の中で強い感情がわきあがることがこわいんじゃないかな、
これが年齢的なものなのか、
一時的なバイオリズムの問題なのかはわからないけれど、
穏やかに日々を過ごしたい、
何かに心をかき乱されたくない、という思いが
日々強くなっている気がします。
コメント
居たたまれなくて、生では辛すぎて。
このぶんだと、東京なんて身体も心ももちそうにないから、時差のある国へ避難しようかとか思っています。
時差のある国、いいですね。
おだやかな時間が流れる国。
身の置き所がないのです。
まだ少し若い頃に感じていた「欠けたピース」とはまた違う。
うまく言葉が見つからないのですけれど。
2020年の逃げ先を探し始めています。
幸い、取ったばかりのパスポートもありますので。
2020年は別のどこかで。