きょうも朝から仕事です。。
思いつきですが、
「草食系男子」っていうから物事の本質が見えなくなるのかも。
要するに、何百年も女子たちが独占してきた「愛される者としての立場」を、
奪い返そうと考える一部の男子たちの「反抗」のあらわれなのでは?
なんてことを、ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」を読みながら思いました。
この本についてはまた後で書きます。
思いつきですが、
「草食系男子」っていうから物事の本質が見えなくなるのかも。
要するに、何百年も女子たちが独占してきた「愛される者としての立場」を、
奪い返そうと考える一部の男子たちの「反抗」のあらわれなのでは?
なんてことを、ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」を読みながら思いました。
この本についてはまた後で書きます。
きょうの日経新聞夕刊によれば、アニメやファンタジーと言ったいわゆる「ポップカルチャー」が、震災を機に変わりつつあるという。記事によれば、「現実の惨禍を前にアニメは無力」であり、「人々の関心が現実にある」以上、作り手もその影響を受けざるをえず、現実を反映したテーマ性の強い作品に移行せざるを得ない、という。記事は見出しでそれを「逃避の終わり」と記している。
でも、本当にそうか?
我々はいま、「震災の後」という、いわば「ダークファンタジー」のさ中にいる。それは、あくまでもカギカッコつきの「現実」でしかない。でも、いずれ、圧倒的な現実が襲ってくる。テレビカメラがやってこない被災地。見えない放射能との、果てしなく続く戦い。そんな時、「逃避」の場を持たずに我々は生きていけるだろうか?
ぼくらに必要なのは、今以上に造り込まれた「逃避の場」なのではないだろうか。
物語の中だけで人は生きていけない。いずれ現実に還らねばならない。だからこそ、つかの間の「逃避」の場が必要なんだと思う。がれきだらけの現実を、きらきらした宝の山に変える、「逃避」の物語が。何千年も、人はそうやって生きてきたんだと思う。だって、この震災だけが、人々に訪れた苦難では決してないのだから。
「物語」の時代がきっと来る。ずっと、忘れ去られていたような、「物語の時代」が。みんなを遠くに連れ去ることが出来る、逃避の物語の時代が。
でも、本当にそうか?
我々はいま、「震災の後」という、いわば「ダークファンタジー」のさ中にいる。それは、あくまでもカギカッコつきの「現実」でしかない。でも、いずれ、圧倒的な現実が襲ってくる。テレビカメラがやってこない被災地。見えない放射能との、果てしなく続く戦い。そんな時、「逃避」の場を持たずに我々は生きていけるだろうか?
ぼくらに必要なのは、今以上に造り込まれた「逃避の場」なのではないだろうか。
物語の中だけで人は生きていけない。いずれ現実に還らねばならない。だからこそ、つかの間の「逃避」の場が必要なんだと思う。がれきだらけの現実を、きらきらした宝の山に変える、「逃避」の物語が。何千年も、人はそうやって生きてきたんだと思う。だって、この震災だけが、人々に訪れた苦難では決してないのだから。
「物語」の時代がきっと来る。ずっと、忘れ去られていたような、「物語の時代」が。みんなを遠くに連れ去ることが出来る、逃避の物語の時代が。
びっくりしました。
これでテロのリスクが低下するって、そんな簡単なものなんだろうか。
マーケットはそう考えてるみたいだけど。
思ったんですが、勉強できる人も、ファッションに詳しい人も、
例えば鉄道のダイヤなら誰よりも詳しい人も、レストランに詳しい人も、
みんな同じように互いが互いをリスペクトし合えるような、
そんなシステムは作り出せないだろうか。
ドラクエみたいな「パーティー」を組むとか、リアルの世界で。
なんかね、もう「雑学王」じゃないと思うんだよね。
そうじゃない、各人が各人のありようでリスペクトされる仕組みを作りたい。
大学の頃、文章を見てもらってる人がいて、その人に
「ぼくはとんがった文章というものは“躁状態の文章”か“鬱状態の文章”か
どちらかだと思う、きみのは躁状態の文章としてイケてると思うからこのまま
行きなさい」
って言われて、すっかりその気になってしまった。
たぶんぼくは、今でもその言葉の影響を受けている。
仕事をする時、企画書を書く時、あるいは何かに向き合う時、
ぼくは自分の内面に「擬似的躁状態」を作り上げている気がする。
外見は極めてテンションが低いんだけど、内面だけはやたらテンションが高いという、
とてつもないアンバランスな状態。
対象と向き合ってる時はいいけど、そうでない時は底、みたいな。
今まではそれで何とかやってきた。
嵐のような時間を通り過ぎて、何もしてない時間に戻れば、
ぼくはただただテンションの低い「抜け殻」でいられたから。
でも、今、何もしてない時間がほとんどない。
ずっと揺れてる感じ。
ちょっとバランスが崩れてきてる気がする…。
この本、タイトルに惹かれて買いました。
タイトルって重要ですよね。
これでテロのリスクが低下するって、そんな簡単なものなんだろうか。
マーケットはそう考えてるみたいだけど。
思ったんですが、勉強できる人も、ファッションに詳しい人も、
例えば鉄道のダイヤなら誰よりも詳しい人も、レストランに詳しい人も、
みんな同じように互いが互いをリスペクトし合えるような、
そんなシステムは作り出せないだろうか。
ドラクエみたいな「パーティー」を組むとか、リアルの世界で。
なんかね、もう「雑学王」じゃないと思うんだよね。
そうじゃない、各人が各人のありようでリスペクトされる仕組みを作りたい。
大学の頃、文章を見てもらってる人がいて、その人に
「ぼくはとんがった文章というものは“躁状態の文章”か“鬱状態の文章”か
どちらかだと思う、きみのは躁状態の文章としてイケてると思うからこのまま
行きなさい」
って言われて、すっかりその気になってしまった。
たぶんぼくは、今でもその言葉の影響を受けている。
仕事をする時、企画書を書く時、あるいは何かに向き合う時、
ぼくは自分の内面に「擬似的躁状態」を作り上げている気がする。
外見は極めてテンションが低いんだけど、内面だけはやたらテンションが高いという、
とてつもないアンバランスな状態。
対象と向き合ってる時はいいけど、そうでない時は底、みたいな。
今まではそれで何とかやってきた。
嵐のような時間を通り過ぎて、何もしてない時間に戻れば、
ぼくはただただテンションの低い「抜け殻」でいられたから。
でも、今、何もしてない時間がほとんどない。
ずっと揺れてる感じ。
ちょっとバランスが崩れてきてる気がする…。
この本、タイトルに惹かれて買いました。
タイトルって重要ですよね。
って、休めたことあったんだろうか。
勿論ことしもまる一日休める日はないのだけれど、
ずっとそうだったのかな…と思って。
確かめようにも手帳とか取っておいてないし。
と考えるって、日記をまめに書くって重要ですね。
雨が降ったのなら、「雨が降った」と書きなさい、って
ボブ・グリーンの言葉があるけれど、
何もなかったのなら、「何もなかった」と書くことが大事なのかも。
自分自身にとって。
言葉と言えば、ロラン・バルトの言葉で、
「恋する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
っていうのがあるけれど、あれって
「( )する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
ってことなんじゃないかな。
( )の中は取り替え可能で。例えば、
「(仕事)する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」でも、
「(飲酒)する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」でもいいのでは。
根本的には( )の中には、狂気の対象が入るんだから。
( )に「恋」を当てはめると、何だか違ってくる気がする。
( )に入るモノは、言語化不可能なものなんじゃないだろうか。
最近、この10年くらいの自分を振り返ってみて、
ぼくは自分がどこからか、ずっとこの状態な気がしてならないんです。
「( )する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
そんな状態。病院に行こうにも、( )の中が言語化出来ないのだから、
治しようがない。大体治すことなど望んでないのだし。
最近、仕事でさまざまなものを言語化、システム化しなくてはならないことが多くて、それとは別の「言語化できない自分の状況」が、どんどん日々の生活から乖離してゆくのを感じるんです。これってみんなそうですか?震災の影響?それとも?
そんなわけで、自分の状況の整理のために、思いつきをなるべくまめに書き連ねてゆこうと思います。
勿論ことしもまる一日休める日はないのだけれど、
ずっとそうだったのかな…と思って。
確かめようにも手帳とか取っておいてないし。
と考えるって、日記をまめに書くって重要ですね。
雨が降ったのなら、「雨が降った」と書きなさい、って
ボブ・グリーンの言葉があるけれど、
何もなかったのなら、「何もなかった」と書くことが大事なのかも。
自分自身にとって。
言葉と言えば、ロラン・バルトの言葉で、
「恋する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
っていうのがあるけれど、あれって
「( )する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
ってことなんじゃないかな。
( )の中は取り替え可能で。例えば、
「(仕事)する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」でも、
「(飲酒)する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」でもいいのでは。
根本的には( )の中には、狂気の対象が入るんだから。
( )に「恋」を当てはめると、何だか違ってくる気がする。
( )に入るモノは、言語化不可能なものなんじゃないだろうか。
最近、この10年くらいの自分を振り返ってみて、
ぼくは自分がどこからか、ずっとこの状態な気がしてならないんです。
「( )する私は狂ってる、そう言える私は狂ってない」
そんな状態。病院に行こうにも、( )の中が言語化出来ないのだから、
治しようがない。大体治すことなど望んでないのだし。
最近、仕事でさまざまなものを言語化、システム化しなくてはならないことが多くて、それとは別の「言語化できない自分の状況」が、どんどん日々の生活から乖離してゆくのを感じるんです。これってみんなそうですか?震災の影響?それとも?
そんなわけで、自分の状況の整理のために、思いつきをなるべくまめに書き連ねてゆこうと思います。
最近ジュンク堂でしか本を買わないのですが、
逆にいろんな本があるので買いすぎてしまいます。
以下はことしジュンク堂で買った本リスト。
「アライバル」ショーン・タン(河出書房新社)
「思考する言語 上 中 下」スティーブン・ピンカー(日本放送出版協会)
「神の痛みの神学」北森嘉蔵(教文館)
「かかわり方のまなび方」西村佳哲(筑摩書房)
「私たちはいまどこにいるのか」小熊英二(毎日新聞社)
「創作の魔術師トニ・モリスン 」奥野みち子(大阪公立大学共同出版会)
「地図で読む戦争の時代」今尾恵介(白水社)
「イノセント・ガールズ」山崎まどか(アスペクト)
「服従の心理」スタンレー・ミルグラム(河出書房新社)
「民主主義は、いま? 」ジョルジョ・アガンベン(以文社)
「エロティック・ジャポン」アニエス・ジアール(河出書房新社)
「日本語が亡びるとき」水村美苗(筑摩書房)
「思考としての歴史と行動としての歴史」ベネデット・クローチェ(未来社)
「ほとんど記憶のない女」リディア・デイヴィス(白水社)
「すべてはどのように終わるのか」クリス・インピー(早川書房)
「貧困の終焉」ジェフリー・サックス(早川書房)
「プライスレス」ウィリアム・パウンドストーン(青土社)
「光の子と闇の子」R・ニーバー(聖学院大学出版)
「文明が衰亡するとき」高坂正尭(新潮社)
「日本語と時間」藤井貞和(岩波書店)
「知覚のなかの行為」アルヴァ・ノエ(春秋社)
「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」ウラジーミル・ナボコフ(講談社)
読了できたのは半分にも満たないのですが、
手元に置いてないと落ち着かなくて…。
引っ越しても「本」だけは手放せないと思います。
これも一種の「依存」なのでしょう。
逆にいろんな本があるので買いすぎてしまいます。
以下はことしジュンク堂で買った本リスト。
「アライバル」ショーン・タン(河出書房新社)
「思考する言語 上 中 下」スティーブン・ピンカー(日本放送出版協会)
「神の痛みの神学」北森嘉蔵(教文館)
「かかわり方のまなび方」西村佳哲(筑摩書房)
「私たちはいまどこにいるのか」小熊英二(毎日新聞社)
「創作の魔術師トニ・モリスン 」奥野みち子(大阪公立大学共同出版会)
「地図で読む戦争の時代」今尾恵介(白水社)
「イノセント・ガールズ」山崎まどか(アスペクト)
「服従の心理」スタンレー・ミルグラム(河出書房新社)
「民主主義は、いま? 」ジョルジョ・アガンベン(以文社)
「エロティック・ジャポン」アニエス・ジアール(河出書房新社)
「日本語が亡びるとき」水村美苗(筑摩書房)
「思考としての歴史と行動としての歴史」ベネデット・クローチェ(未来社)
「ほとんど記憶のない女」リディア・デイヴィス(白水社)
「すべてはどのように終わるのか」クリス・インピー(早川書房)
「貧困の終焉」ジェフリー・サックス(早川書房)
「プライスレス」ウィリアム・パウンドストーン(青土社)
「光の子と闇の子」R・ニーバー(聖学院大学出版)
「文明が衰亡するとき」高坂正尭(新潮社)
「日本語と時間」藤井貞和(岩波書店)
「知覚のなかの行為」アルヴァ・ノエ(春秋社)
「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」ウラジーミル・ナボコフ(講談社)
読了できたのは半分にも満たないのですが、
手元に置いてないと落ち着かなくて…。
引っ越しても「本」だけは手放せないと思います。
これも一種の「依存」なのでしょう。
そんな気分。
久しぶりに宮沢賢治を読み返す。
「オッベル」なんですね。
ずっと「オッぺル」だと思ってた。
「ぱでぃ」と「ばでぃ」みたいなもんか。
「苦しいです、サンタマリア」
ああ、そうだね。
みんな苦しいんだよね。
幸福も不幸も、コントロールできない感情の揺れを
体験しなければならない、という点では等価だと思う。
身に余る幸福も、受け止められないくらいの不幸も、
結局はおなじくらい苦しい。
幸福も不幸もないところへ行きたい。
心静かに暮らしたい。
久しぶりに宮沢賢治を読み返す。
「オッベル」なんですね。
ずっと「オッぺル」だと思ってた。
「ぱでぃ」と「ばでぃ」みたいなもんか。
「苦しいです、サンタマリア」
ああ、そうだね。
みんな苦しいんだよね。
幸福も不幸も、コントロールできない感情の揺れを
体験しなければならない、という点では等価だと思う。
身に余る幸福も、受け止められないくらいの不幸も、
結局はおなじくらい苦しい。
幸福も不幸もないところへ行きたい。
心静かに暮らしたい。
未来はやってこない。
すべては、現在の積み重ねに過ぎない。
できなかったことが、何の前触れもなく、
突然出来るようになったりは、普通しない。
情けないくらい「出来ない」現在の自分を、
気も遠くなるくらいに愚直に積み上げて、
ようやく少しは「まし」な自分が出来てくる。
たまたま見た大リーグのドキュメントで、
才能だけで野球をやってそうに見える4番バッターが、
「どうすれば打てるのか?」と問われて、
「練習しかない。バットのスピードは、振れば振るほど速くなる」
って答えていた。
「現在」しかない。「未来」はやってこない。
だからこそ、「現在」を。
すべては、現在の積み重ねに過ぎない。
できなかったことが、何の前触れもなく、
突然出来るようになったりは、普通しない。
情けないくらい「出来ない」現在の自分を、
気も遠くなるくらいに愚直に積み上げて、
ようやく少しは「まし」な自分が出来てくる。
たまたま見た大リーグのドキュメントで、
才能だけで野球をやってそうに見える4番バッターが、
「どうすれば打てるのか?」と問われて、
「練習しかない。バットのスピードは、振れば振るほど速くなる」
って答えていた。
「現在」しかない。「未来」はやってこない。
だからこそ、「現在」を。
・ぼくはコロッケに弱いらしい。
いろいろメニューがあってもコロッケがあると
ついついそっちに行ってしまう…。
食べ終わるとそんなに印象に残ってないのに。
何でだ??
・考えてみれば、「世界の終わり」はずっと前に始まっている。
世界が始まったときから。
そう考えれば、何も怖くない。
いろいろメニューがあってもコロッケがあると
ついついそっちに行ってしまう…。
食べ終わるとそんなに印象に残ってないのに。
何でだ??
・考えてみれば、「世界の終わり」はずっと前に始まっている。
世界が始まったときから。
そう考えれば、何も怖くない。
「ぼくと契約して××になってよ」
2011年4月23日 日常
っていうのが流行語になっているそうで、その元ネタであり、娘が目を輝かせて魅力を語った「魔法少女まどか☆マギカ」を見ました。娘の学校では随分前から大ブームを巻き起こしてたそうですが…。
すみません、正直ナメてました。「魔法少女」というタイトルからは想像もつかない、ダークファンタジーとしての完成度の高さ。画の新しさ、深夜アニメとは思えない緻密さ。個人的にはエヴァンゲリオンよりハマってしまいました。
結局ヒットする作品って、時代と重なり、時代を先取りしてるんだと思います。
「魔法少女まどか☆マギカ」は、ひとことで言えば、「祈りの物語」です。キーワードは、「もう絶望する必要なんて、ない」。あんまり書くとただのオタクなのがバレるのでこのくらいにしておきますが、ホントに、日本のアニメって油断ならないです。DVD欲しいかも。
すみません、正直ナメてました。「魔法少女」というタイトルからは想像もつかない、ダークファンタジーとしての完成度の高さ。画の新しさ、深夜アニメとは思えない緻密さ。個人的にはエヴァンゲリオンよりハマってしまいました。
結局ヒットする作品って、時代と重なり、時代を先取りしてるんだと思います。
「魔法少女まどか☆マギカ」は、ひとことで言えば、「祈りの物語」です。キーワードは、「もう絶望する必要なんて、ない」。あんまり書くとただのオタクなのがバレるのでこのくらいにしておきますが、ホントに、日本のアニメって油断ならないです。DVD欲しいかも。
結局は「切り取り方」がすべてなんじゃないか?
「細部」なんてあまり気にされていない。
ダヴィンチの画が細部まで描かれていなかろうが、
モナリザが未完成であろうがなかろうが、
見ている人はダヴィンチの切り取る「世界観」に敬服し、感動する。
過度のこだわりは作り手の自己満足に過ぎない。
15分のVTRを10分に縮めるディレクターは、
「仕事をした」つもりかもしれないけれど、
その行為が作品にとってよかったかどうか、確かめる術はない。
同時に2つを見比べることは出来ないからね。
いったい、作品をつくることにおいて何が正しいんだろうか。
「細部」なんてあまり気にされていない。
ダヴィンチの画が細部まで描かれていなかろうが、
モナリザが未完成であろうがなかろうが、
見ている人はダヴィンチの切り取る「世界観」に敬服し、感動する。
過度のこだわりは作り手の自己満足に過ぎない。
15分のVTRを10分に縮めるディレクターは、
「仕事をした」つもりかもしれないけれど、
その行為が作品にとってよかったかどうか、確かめる術はない。
同時に2つを見比べることは出来ないからね。
いったい、作品をつくることにおいて何が正しいんだろうか。
と警官は言った 、表紙変わった!
前の方がよかったな…。
この本、時々読みたくなる。
いまいるこの世界が、アリスの作り上げた
「別の座標軸」だったらいいのに、と思う。
でも、目覚めてすべてを失うのは嫌だな…。
しかし、昼間会社で自信満々にふるまう自分と、
夜ぐだぐだになって暗い部屋で本を読んでる自分と、
そのギャップに時々自分でついていけなくなる。
でも、どっちも自分だ。認めるしかない。
ただ、強いふりは疲れる。優しいふりは後ろめたい。
「ふり」はやめたいな。でも、「本当の自分」なんて誰が認めてくれる?
「愛すれば愛するほど人は弱くなる。そんなヤツいらない」
なんかのドラマの台詞だったけど、心に残っている。
「マジすか学園2」相変わらず面白い。
あと「スコット・ピルグリム」面白そう!
前の方がよかったな…。
この本、時々読みたくなる。
いまいるこの世界が、アリスの作り上げた
「別の座標軸」だったらいいのに、と思う。
でも、目覚めてすべてを失うのは嫌だな…。
しかし、昼間会社で自信満々にふるまう自分と、
夜ぐだぐだになって暗い部屋で本を読んでる自分と、
そのギャップに時々自分でついていけなくなる。
でも、どっちも自分だ。認めるしかない。
ただ、強いふりは疲れる。優しいふりは後ろめたい。
「ふり」はやめたいな。でも、「本当の自分」なんて誰が認めてくれる?
「愛すれば愛するほど人は弱くなる。そんなヤツいらない」
なんかのドラマの台詞だったけど、心に残っている。
「マジすか学園2」相変わらず面白い。
あと「スコット・ピルグリム」面白そう!
なぜ企画書を書くか、と言えば、それは
「まだ形になっていないものを言語化する」ためだと思う。
考えてみれば、それって「就職活動」に似てる。
企業は、学生の「現在」ではなく、「未来の可能性」を買う。
そのことを理解出来て、企業に対して、
「未来の自分」を言語化することが出来た学生が、
「就職活動」の勝者になる。
ひとにぎりの「体育会系」や「即戦力」を除いて。
「未来の自分」を言語化するには、場数を踏む必要がある。
トライ&エラーを繰り返して、「空気」が読めるようになる。
「企業」が求めているモノがわかるようになる。
企画書も、それと同じだ。
トライ&エラーを繰り返して、「空気」が読めるようになる。
「人々」が求めているモノがわかるようになる。
書き続けるしかない。
…やっぱ合宿でもするか。
「まだ形になっていないものを言語化する」ためだと思う。
考えてみれば、それって「就職活動」に似てる。
企業は、学生の「現在」ではなく、「未来の可能性」を買う。
そのことを理解出来て、企業に対して、
「未来の自分」を言語化することが出来た学生が、
「就職活動」の勝者になる。
ひとにぎりの「体育会系」や「即戦力」を除いて。
「未来の自分」を言語化するには、場数を踏む必要がある。
トライ&エラーを繰り返して、「空気」が読めるようになる。
「企業」が求めているモノがわかるようになる。
企画書も、それと同じだ。
トライ&エラーを繰り返して、「空気」が読めるようになる。
「人々」が求めているモノがわかるようになる。
書き続けるしかない。
…やっぱ合宿でもするか。
書けない。
書き始められない。
書きたいテーマは見つかったはずなのに。
糸井重里さんが「久世塾」って本で言ってたように、
耕して、生んで、育てることだけで、人は本来生きてゆける、なら、
それ以上を望む必要はないのでは?
日々の営みの中に、関係の中に、耽溺してなぜいけない?
心からそう思えればいいんだけど。
焦りと、塊のような感情だけが、少しずつ毒に蝕まれてゆくように、
全身に広がっている。
書き始められない。
書きたいテーマは見つかったはずなのに。
糸井重里さんが「久世塾」って本で言ってたように、
耕して、生んで、育てることだけで、人は本来生きてゆける、なら、
それ以上を望む必要はないのでは?
日々の営みの中に、関係の中に、耽溺してなぜいけない?
心からそう思えればいいんだけど。
焦りと、塊のような感情だけが、少しずつ毒に蝕まれてゆくように、
全身に広がっている。
長田弘さんのいう通りだと思う。
一体、ニュースと呼ばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう
幼い猫と遊ぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ、永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと
地震で目が覚めた、11時19分。
しかし揺れましたね…。
揺れるというか突き上げてくる感じだった。
テレビ見ながら仕事してたら、「面白い」と感じるものが
地震の前と後で随分変わってしまった気がしてきた。
きょういちばん心に残ったのは、NHKで地震のニュースのあと
やってた、「高校中退を食い止めろ~教師たちの格闘」という
ドキュメンタリーだった。それと逆に、いわゆる「成功者」の
名言とか、楽しげな海外旅行の番組とかにまったく心が動かない。
マイケル・サンデルの言葉もなんだか全然響いてこない…。
これって何なんだろう。
サルトルの「地獄とは他人のことだ」ってこういうことなのかな。
違うか。
常に携帯してるスケジュール帳(無印良品のノートをカスタマイズしたヤツ)に
ニーバーの祈りをコピーして貼りました。
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
神よ、
変えるべきものを変えるだけの勇気を、
変えられないものを受けいれられる冷静さを、
そして、そのふたつを識別できる知恵を、
私たちに与えて下さい。
このフレーズは、地震の前も、後も、変わらずにぐっと来ます。
歯ブラシ買わなきゃ。
しかし揺れましたね…。
揺れるというか突き上げてくる感じだった。
テレビ見ながら仕事してたら、「面白い」と感じるものが
地震の前と後で随分変わってしまった気がしてきた。
きょういちばん心に残ったのは、NHKで地震のニュースのあと
やってた、「高校中退を食い止めろ~教師たちの格闘」という
ドキュメンタリーだった。それと逆に、いわゆる「成功者」の
名言とか、楽しげな海外旅行の番組とかにまったく心が動かない。
マイケル・サンデルの言葉もなんだか全然響いてこない…。
これって何なんだろう。
サルトルの「地獄とは他人のことだ」ってこういうことなのかな。
違うか。
常に携帯してるスケジュール帳(無印良品のノートをカスタマイズしたヤツ)に
ニーバーの祈りをコピーして貼りました。
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
神よ、
変えるべきものを変えるだけの勇気を、
変えられないものを受けいれられる冷静さを、
そして、そのふたつを識別できる知恵を、
私たちに与えて下さい。
このフレーズは、地震の前も、後も、変わらずにぐっと来ます。
歯ブラシ買わなきゃ。
世界なんて、結局は気持ち次第だ。
きのうまでは闇の中だった。
きょうは少しだけ日が差した気がする。
ほんの少しだけ。
孤独は本当に人間を強くするのだろうか。
孤独と引き換えに得られる強さなんて、
本当に必要なものなのだろうか。
弱くても、だらしなくても、
人は生きてゆかなくてはならない。
けれどせめて、溝の中に蓮の花を咲かせたい、
一輪だけでも。
本屋大賞とった本より僅差で2位だった
この本の方が気になります。
「ふがいない僕は空を見た」
あまりにも多くの悲しみの中で見失いがちだけど、
結局ひとりひとりが乗り越えてゆくしかない。
ジェニファー・ハドソンのように。
ようやく少しずつ、企画書が書けるようになりました。
地震のあと、しばらくは、一行も書けなかった。
一行も。
結局は狂気だけが心を駆動させてくれる。
ただ思うのは、狂気にも、いい狂気と悪い狂気があるね。
プラトンが言うとおりだ。
きのうまでは闇の中だった。
きょうは少しだけ日が差した気がする。
ほんの少しだけ。
孤独は本当に人間を強くするのだろうか。
孤独と引き換えに得られる強さなんて、
本当に必要なものなのだろうか。
弱くても、だらしなくても、
人は生きてゆかなくてはならない。
けれどせめて、溝の中に蓮の花を咲かせたい、
一輪だけでも。
本屋大賞とった本より僅差で2位だった
この本の方が気になります。
「ふがいない僕は空を見た」
あまりにも多くの悲しみの中で見失いがちだけど、
結局ひとりひとりが乗り越えてゆくしかない。
ジェニファー・ハドソンのように。
ようやく少しずつ、企画書が書けるようになりました。
地震のあと、しばらくは、一行も書けなかった。
一行も。
結局は狂気だけが心を駆動させてくれる。
ただ思うのは、狂気にも、いい狂気と悪い狂気があるね。
プラトンが言うとおりだ。
ラカンによれば「言語は現実を語れない」。
ところが同時に人は「言語でしか現実を語れない」。
そして彼は、「語りえない現実」を「現実界」、
「言語によって語られる現実」を「象徴界」と名づけた。
人は、「言語」を用いる限り、「現実界」にはたどりつけない。
しかし、時に垣間見てしまったり、触れてしまったりすることがある。
たとえばそれは、「狂気の中にいる者」である。
プラトンの著作を読んでいると、彼がほとんど同じことを言っていることに気づかされる。
紀元前400年。ラカンのおよそ2375年前に、同じようなテーゼが語られてるのって、ちょっと衝撃的。
「ひとつの技術を文字の中に書き残したと思い込んでいる人、また、書かれたものの中から何か明瞭で確実なものを掴みだすことが出来ると信じている人、こういう人たちは皆大変なお人好しである。なぜなら彼らは、書かれた言葉というものが、書物に取り扱われる事柄について知識を持っている人にそれを思い出させるという役割以上に、もっと何か多くのことをなしうると思っているからだ」 (プラトン「パイドロス」)
プラトンは、「言葉」というものが「道具」に過ぎず、「世界そのもの」を描き出すことは出来ない、と言っている。
「魔術的リアリズム」という本の中で引用されている1915年のキリコの言葉も、たぶん同じことを言おうとしているのだと思う。
「すべての事物はふたつの局面を持っている。ひとつは、私たちが日ごろ見ており、人々が一般に見慣れている局面であるところの日常的局面であり、もうひとつは、ごく稀な個人が幻視や形而上的抽象の瞬間にしか見ることの出来ない、妖怪的もしくは形而上的局面である」 (種村季弘「魔術的リアリズム」)
前者をラカンがいう「象徴界」、後者を「現実界」と考えれば合点がゆく。
今回の震災を機に、「現実界」の裂け目が露わになってきている気がする。
それを描きたい。覗き込めるだろうか、ぼくは。狂気に飲み込まれずに。
ところが同時に人は「言語でしか現実を語れない」。
そして彼は、「語りえない現実」を「現実界」、
「言語によって語られる現実」を「象徴界」と名づけた。
人は、「言語」を用いる限り、「現実界」にはたどりつけない。
しかし、時に垣間見てしまったり、触れてしまったりすることがある。
たとえばそれは、「狂気の中にいる者」である。
プラトンの著作を読んでいると、彼がほとんど同じことを言っていることに気づかされる。
紀元前400年。ラカンのおよそ2375年前に、同じようなテーゼが語られてるのって、ちょっと衝撃的。
「ひとつの技術を文字の中に書き残したと思い込んでいる人、また、書かれたものの中から何か明瞭で確実なものを掴みだすことが出来ると信じている人、こういう人たちは皆大変なお人好しである。なぜなら彼らは、書かれた言葉というものが、書物に取り扱われる事柄について知識を持っている人にそれを思い出させるという役割以上に、もっと何か多くのことをなしうると思っているからだ」 (プラトン「パイドロス」)
プラトンは、「言葉」というものが「道具」に過ぎず、「世界そのもの」を描き出すことは出来ない、と言っている。
「魔術的リアリズム」という本の中で引用されている1915年のキリコの言葉も、たぶん同じことを言おうとしているのだと思う。
「すべての事物はふたつの局面を持っている。ひとつは、私たちが日ごろ見ており、人々が一般に見慣れている局面であるところの日常的局面であり、もうひとつは、ごく稀な個人が幻視や形而上的抽象の瞬間にしか見ることの出来ない、妖怪的もしくは形而上的局面である」 (種村季弘「魔術的リアリズム」)
前者をラカンがいう「象徴界」、後者を「現実界」と考えれば合点がゆく。
今回の震災を機に、「現実界」の裂け目が露わになってきている気がする。
それを描きたい。覗き込めるだろうか、ぼくは。狂気に飲み込まれずに。
・脳がつるつるになった夢を見て飛び起きた。いけないいけない。スランプもここまで来ると深刻だ…。でも、ここ数日読んだ本の中から、いくつかヒントのようなものを得られた。
・ブルータス最新号「糸井重里特集」。読めば読むほど糸井さんって深い…。論理展開がすごくソクラテス(というかプラトンの本に出てくるソクラテス)に似てる。この本でもいろいろ刺激的な発言があったけど、中でもぐっと来たのは、「業界の心配するより自分の心配をしろ」ってとこ。「主語を私たちにするから話がややこしくなるのであって、まず主語を私にして考えろ」みたいなことを言ってて、あたりまえのことなんだけど最近陥ってたひとつめの罠に気づかされた。そうだよね。「私たちに何が出来るか」ではなく、「私に何が出来るか」。すべてはその延長線上にある。「私たち」で考え過ぎていた、これがぼくのスランプの原因その1。
・その本の中で鶴見俊輔さんの「神話的時間」の概念が紹介されてて、「コレ昔買った!」と思って本棚から引っ張り出して読んだ。要するに、近代の時間ではなく、物語の時間。「旧約聖書の本文に流れている時間を、いまの私がいる時間の流れで読んでも意味が全然違うんじゃないか?」という疑問から、鶴見さんは「感じることや生きることが言葉と分離する以前の状態」を「神話的時間」と呼んでいる。この考え方もぐっと来た。ぼくも最近「締め切りまでに!」「何とか時間内に!」という「近代の時間」にとらわれ過ぎていて、「神話的時間」の中に魂が行ってなかった。以上スランプの原因その2.
・そして最も大きなスランプの原因。最近凝ってるプラトンの「パイドロス」を今日読んでたら、ああこれだ!と思う描写があった。この本は前段で愛について、後段で言葉についてソクラテスが語るんだけれど、前段の冒頭で
「自分を恋してくれる人がそばにいても、むしろ自分を恋していない人に身をまかせた方がいい、なぜなら恋する人は狂気の中にあるが、恋してない人は正気だから!」
という、とあるソフィストの主張を聴いた人が、ソクラテスに興奮してそのことを告げる、するとソクラテスは、いろいろ考えてこう反論する。
「もし狂気が悪いことだと無条件に言えるならその通りだろう、しかし、我々の身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気は、神から授かって与えられる狂気でなければならないが」
ソクラテス(っていうかプラトン)カッコいい…。考えてみれば最近、あまりにも狂気から遠いところに身を置いていた。企画書も何だか手わざで書いていただけな気がする。もっともっと没頭しよう。狂気を取り戻そう。
「私」を「神話的時間」の中に置き、ゆっくりとゆっくりと「狂気」を呼び起こそう。かつてそうだったように。この日記を書き始めた頃のように。引き返せない道の果てにぽっかり開いた巨大な穴の手前で立ちつくしていた頃のように。そうしなければ、このままぼくはダメになってしまう気がする。このまま終わりたくない。まだ引き返せる。狂気と歓喜と絶望の中に。今なら。
・ブルータス最新号「糸井重里特集」。読めば読むほど糸井さんって深い…。論理展開がすごくソクラテス(というかプラトンの本に出てくるソクラテス)に似てる。この本でもいろいろ刺激的な発言があったけど、中でもぐっと来たのは、「業界の心配するより自分の心配をしろ」ってとこ。「主語を私たちにするから話がややこしくなるのであって、まず主語を私にして考えろ」みたいなことを言ってて、あたりまえのことなんだけど最近陥ってたひとつめの罠に気づかされた。そうだよね。「私たちに何が出来るか」ではなく、「私に何が出来るか」。すべてはその延長線上にある。「私たち」で考え過ぎていた、これがぼくのスランプの原因その1。
・その本の中で鶴見俊輔さんの「神話的時間」の概念が紹介されてて、「コレ昔買った!」と思って本棚から引っ張り出して読んだ。要するに、近代の時間ではなく、物語の時間。「旧約聖書の本文に流れている時間を、いまの私がいる時間の流れで読んでも意味が全然違うんじゃないか?」という疑問から、鶴見さんは「感じることや生きることが言葉と分離する以前の状態」を「神話的時間」と呼んでいる。この考え方もぐっと来た。ぼくも最近「締め切りまでに!」「何とか時間内に!」という「近代の時間」にとらわれ過ぎていて、「神話的時間」の中に魂が行ってなかった。以上スランプの原因その2.
・そして最も大きなスランプの原因。最近凝ってるプラトンの「パイドロス」を今日読んでたら、ああこれだ!と思う描写があった。この本は前段で愛について、後段で言葉についてソクラテスが語るんだけれど、前段の冒頭で
「自分を恋してくれる人がそばにいても、むしろ自分を恋していない人に身をまかせた方がいい、なぜなら恋する人は狂気の中にあるが、恋してない人は正気だから!」
という、とあるソフィストの主張を聴いた人が、ソクラテスに興奮してそのことを告げる、するとソクラテスは、いろいろ考えてこう反論する。
「もし狂気が悪いことだと無条件に言えるならその通りだろう、しかし、我々の身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気は、神から授かって与えられる狂気でなければならないが」
ソクラテス(っていうかプラトン)カッコいい…。考えてみれば最近、あまりにも狂気から遠いところに身を置いていた。企画書も何だか手わざで書いていただけな気がする。もっともっと没頭しよう。狂気を取り戻そう。
「私」を「神話的時間」の中に置き、ゆっくりとゆっくりと「狂気」を呼び起こそう。かつてそうだったように。この日記を書き始めた頃のように。引き返せない道の果てにぽっかり開いた巨大な穴の手前で立ちつくしていた頃のように。そうしなければ、このままぼくはダメになってしまう気がする。このまま終わりたくない。まだ引き返せる。狂気と歓喜と絶望の中に。今なら。
・企画書を書いてたらあたまの悪い子みたいな文章になってしまって、
自分に失望してしまいました。そんな4月の始まりです。
・そろそろ気分を変えたいんだけど桜を見に行く気にもならない。
人生で桜を見られるのって数十回しかないのに…。
髪でも切りに行こう。
・アメリカの新聞に「東京の人間はどうして自粛ムードなんだ!それで被災者と連帯していると思ったら大間違いだ!お前らは何も生み出していない!」みたいなことが書いてあって。その通りかもな~と思っていたら、「日本人には喪に服するって伝統があるんだ!そういう文化も知らずに勝手なこと言うな!喪が明けたら見返してやるからな!」みたいなことを言い返してる日本人がいて、おっ!と思ったりしています。どっちも正しい気がする。でも、目の前にアメリカ人がいて前段のようなことを言われたら、ぼくは絶対後段みたいなこと言い返せないだろうな~と思うと、強くならなくちゃな、とは思います。あたまも、心も。
・「マジックリアリズム」にこの状況を脱却するヒントがある気がしてこの本を買ったのですが、絵画の話でした…。でもどこにヒントがあるかわからないので読んでみようと思います。
・OASISの“let there be love ”っていい曲ですね。
May all your dreaming fill the empty sky
But if it makes you happy Keep on clapping
Just remember I’ll be by your side
And if you don’t let go it’s gonna pass you by
ってとこにぐっときました。
・そこに愛がありますように。
自分に失望してしまいました。そんな4月の始まりです。
・そろそろ気分を変えたいんだけど桜を見に行く気にもならない。
人生で桜を見られるのって数十回しかないのに…。
髪でも切りに行こう。
・アメリカの新聞に「東京の人間はどうして自粛ムードなんだ!それで被災者と連帯していると思ったら大間違いだ!お前らは何も生み出していない!」みたいなことが書いてあって。その通りかもな~と思っていたら、「日本人には喪に服するって伝統があるんだ!そういう文化も知らずに勝手なこと言うな!喪が明けたら見返してやるからな!」みたいなことを言い返してる日本人がいて、おっ!と思ったりしています。どっちも正しい気がする。でも、目の前にアメリカ人がいて前段のようなことを言われたら、ぼくは絶対後段みたいなこと言い返せないだろうな~と思うと、強くならなくちゃな、とは思います。あたまも、心も。
・「マジックリアリズム」にこの状況を脱却するヒントがある気がしてこの本を買ったのですが、絵画の話でした…。でもどこにヒントがあるかわからないので読んでみようと思います。
・OASISの“let there be love ”っていい曲ですね。
May all your dreaming fill the empty sky
But if it makes you happy Keep on clapping
Just remember I’ll be by your side
And if you don’t let go it’s gonna pass you by
ってとこにぐっときました。
・そこに愛がありますように。
きょうはある障害を持つ方々の会合に出てきました。
とても心動かされました。
何か自分に出来ることを、と考えました。
かたちにしたいと思いました。
帰り道、それとは別の、
いま考えている企画のヒントになりそうな本を買いました。
それがこの本です。
でも、集中できない。
きのう読んだ記事が、あたまから離れない。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
「日常」をこなさなければ、日々の糧は得られない。
けれど、このこと以上に考えるべきことが今あるんだろうか。
とても心動かされました。
何か自分に出来ることを、と考えました。
かたちにしたいと思いました。
帰り道、それとは別の、
いま考えている企画のヒントになりそうな本を買いました。
それがこの本です。
でも、集中できない。
きのう読んだ記事が、あたまから離れない。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
「日常」をこなさなければ、日々の糧は得られない。
けれど、このこと以上に考えるべきことが今あるんだろうか。