9月18日の日記・2

2011年9月18日 日常
「監督失格」を見たあと、
そういえば神倉美子さんの「たまもの」に世界観が似てるかも、って思って、
今でも買えるのかな、ってネット書店で検索したら、「絶版」って出てきて、
ご丁寧に「もしかして」という欄で次のキーワードが紹介されてた。

「たまもの」 もしかして

       「のりもの」
       「マモルさん」
       「マルモのおきて」

…100歩譲っていちばん上はありかも知れない。
でも、どうやったら「たまもの」が
「マモルさん」や「マルモ」になるんだろう。

全然もしかしないよ!
と思ったので記録しておきます。

9月18日の日記

2011年9月18日 日常
「監督失格」を見る。
自分の中で、まだ整理がつかない。
周りでとても評判がよくて、
実際見ていて引き込まれたし、
でもこうして見終わってしばらく経ってみて、
なんて書いていいのかわからない。
心が動いていない。
それはでもたぶん、自分の問題。
最近心をこじらせてるのかも。

「男はみんな、自分の中に、それぞれの由美香がいる」
なんてフレーズが浮かんだりもするけれど、
それはあくまでもフレーズで、感想ではない。
「とてもセンチメンタルな映画だった」
は感想?なんだか違う気がする。

でも、いい映画だと思います。
久しぶりに「由美香」が見たくなりました。
あとカンパニー松尾さんの距離感が個人的には好きだった。
「わたしを女優にしてください」は名作だったな…。

9月11日の日記

2011年9月11日 日常
そして半年が経って。
ぼくは変われたんだろうか。
少しはマシな人間になれたんだろうか。

変わったこと。
ガラケーをスマホに変えました。
以前より人と会うようになりました。
ハーゲンダッツ派からふんわりかき氷派に。
さらにノンフィクションしか読めない体に。
ひとつひとつの仕事がいとおしくなりました。

最近よかった映画は、飛行機の中で見た「イエスマン」
音楽は「2cellos」、ステージは小島章司さん、
漫画は今更ですが「宇宙兄弟」、活字モノはまた改めて。








・PCの背景をクリムトのダナエにしました。クリムトいいっすね。NYで見て以来、個人的にいまさらのクリムトブーム。ダナエはウイーン行くと見られるんでしょうか。死ぬ前に一度見てみたい…。あとフリーダ・カーロ。寝る前に眺めてるとヘンな夢見ますが。

・吉高由里子さんがツイッターを始めた。ホントにこの人の文章は素敵だと思う。魅力的な文章って何なんだろう、意外にそれは普遍的な気もする。友だちにもすごく素敵な文章を書く人がいて、そういう人ってやっぱり多くの人に認められてる。で、それって意外に翻訳されても損なわれなかったりするんだよね。不思議だ。ああ、魅力的な文章の魅力を言語化出来ない自分がもどかしい…。

・ここ最近は穏やかな気持ちで日々を過ごしています。たぶんぎりぎりのところを歩いてはいるけれど、しばらくは内側に落ちないでいられる気がする。もうあまり時間も残されていないし。この1年でどこまで行けるかが勝負だな。とにかく、行けると ころまで行こう。村上龍の言葉をひっくり返すと、そのままジジェクが「操り人形と 小人」で言ってることになる、つまり、誰かに何かをもらうことなど無理だ、ぼくら が「誰か」から受け取れるのは、キラキラ輝く「その人」の存在だけだ、距離は永遠に埋まらない、だからぼくが出来るのは、少しでも負けないような輝きを「その人」に見せることだけだ、それはたぶん、神に近づくことに似ている。

6月3日の日記

2011年6月3日 日常
もんじゃ焼きを食べました。
・気のせいかも知れないけど、少しずつオーラの出し方がわかってきた気がする。今日ちょっと出そうと思ってやってみたら、複数の人に「オーラある」って言われた。たまたまかも知れないけど。でも、オーラって絶対あるよね!芸能人とか出したり消したり出来るもの!…自分がどこに向かってるのかわかりませんが。

・miwaが気になります。youtubeでみた槇原敬之さんとデュエットしてる「ANSWER」の歌声が素晴らしかった。あと、あんなふうに笑いたい。

・きょうやり終えた仕事は、久しぶりに達成感があった。結果がどう出ようと、やってよかったと思える。1年にひとつでも、そんな仕事があることは幸せだ。だから続けられる。あと何年続けられるかわからないけれど、ひとつでも多く、きょうのような仕事が出来ますように。そしてもし許されるなら、いい結果が出ますように。みんなが幸せな気持ちで仕事を終えられますように。

5月27日の日記

2011年5月27日 日常
なんかこんな時間に家にいるのがすごくヘンな気分。悪いことしてるような…。いやいや、普段の方が普通考えればヘンなんだろうけど、妙に落ち着かない感じです。本でも読もうかな。それとも録画したテレビ番組見ようかな。近所に出来たワインバーに飲みに行こうかな…。何をしてもいい、ってちょっとドキドキしますね。大体ドキドキしてるうちに時間が経ってしまうんですが…あ、洗濯しとこ。

銀座松坂屋前で友だちと待ち合わせしててふと思ったんですが。日本人って、どうしてすごい小さな子供から年配の方までほぼ全員、「バウムクーヘン」なんて単語をフツーに知ってるんだろうか。ドイツ人が「しょうが焼き定食」ってフツーに言えるようなもんだよね。ちょっと違うか。でも、気がついたら「バウムクーヘン」って知ってた気がする、言葉のかたまりとして。バウムって何?クーヘンって何?とか全然思わなかった。いつから日本人の心に忍び込んだんだろう、バウムクーヘン…。

あと、同じく松坂屋の前でお姉さんがスカウトされていた。キャバクラか何かみたい。お姉さんは興味深そうに話を聞いてたけど、それを見ながら思い出した。佐藤健くんと吉高由里子さんは、同じスカウトが声をかけたらしいけど、ああいうちゃんとした芸能事務所のスカウトって、どういうシステムになってるんだろう。売れる、とか、売れない、とかって、そんな第一印象でわかったりするものなんだろうか。たとえばぼくがすごく可愛い子を街で見かけたとして、その子が芸能人としてイケるかどうかとかって、まったくわからない。スカウトはわかるんだろうか。また、スカウトが連れてきた、原石みたいな若い子を、事務所の経営者は「この子で行こう!」ってどうやって決めるんだろうか。デビューさせるのって、すごくお金と手間がかかるよね。そこはもう、プロであるスカウトさんに全幅の信頼を置いて、ということなんだろうか。それとも、スカウトはあくまでも一時面談で、より眼力の鋭いスタッフが経営陣にいたりするんだろうか、大手事務所は。…なんてどうでもいいことを、待ち合わせの10分くらいの間ずっと考えてました。

台風来てますね。みなさんお気をつけて!
この本ずいぶん売れてるみたいですね。アマゾンで買おうとしたら品切れだった…。なんとか入手できたので読んでみます。これ読んだら、いよいよ「カラマーゾフの兄弟」に取りかかろうと思います!

精神的にはだいぶ安定してきました。ケイティ・ペリーのライブに行けなかったことが、そんなにショックじゃない自分がいて。
「一生に一度のモノを見逃した!」という気持より、「一生に一度のモノなんて、この先いくらでもある!」っていう気持ちが勝っている感じに、自分で救われています。そうか、すべては自分次第なんだ。

そう言えば、きょう見たツイッターのつぶやきに、
“「がんばろう日本」に「明日から」を付けるとすごいダメオーラが”
っていうのがあってちょっと笑えた。
そうなんだよね。「現在」しかないんだよね。

あ、この映画が見たい。
http://www.herbanddorothy.com/jp/story/index.html
小林聡美の離婚でますます結婚に夢が持てなくなった(おまえが言うなって話ですが)現在、でももしかしたら…、と思わせてくれる映画かも。しかしこばやしさとみ、何気にショックだった。あ、でもつい先日も、この人たちすらうまくいかないんだったら結婚って制度自体無理なんじゃ、って思った離婚カップルがいた気がする…。誰だっけ…。



・せっかく取ってもらったケイティ・ペリーのライブ、仕事が終わらなくて行けなかった…。残念過ぎる。指定席じゃなかったのがせめてもの救い。誰にも迷惑かけなかったよね。しかし悔しい…。

・そうこうしてるうちに5月も終わろうとしてる。ウチは7月からが新シーズンなので、今期もあと少し。何だか今シーズンは、貯金で食いつないだみたいな1年だった。よくないな…。途中3月11日からは1か月くらい茫然自失な感じだったし。でも、被災地にも行って、いろんな人と話して、ぼくらがやろうとしてることが間違ってないことが何となくわかって、ちょっと前向きな気持ちになれた。来シーズンはもうちょっと回転数上げてがんばらなくちゃ。それと、新しいこと始めよう。仕事以外にも。

・ケイティ・ペリーに行くはずだった時間、会社にいてテレビ東京のドラマ「鈴木先生」をリアルタイムで見ていた。「あたしも、大人が期待する中学生像を演じきるから、先生も頑張って!」と語る女子生徒の台詞に、恥ずかしながらすごく共感してしまった…。ぼくももう少し覚悟を持たなくては。仕事でも、人生でも。素で傷ついたり落ち込んだりしてる場合じゃない。与えられた役を演じ切らなきゃ!がんばろ。



いい天気だ~。
ベランダビール日和。
光のなかにいると、
すべてのことがどうでもよくなってきます。
たぶんいい意味で。
決めなくていいのかもな。今のままで。
外側は理性的で、内側に野生を隠し持って、
そのまま行けるところまで。
楽しめれば。
口角を上げるだけで、脳は、楽しいと勘違いする、っていうように、
気持ちが上向いてるって、勘違いさせてくれてるだけかも知れませんが、
この光が。
あ、だから、図書館は光が差し込むようになってるのかな。
考えごとをするのは、夜じゃなくて昼の方がいいのかも。
いや、両方かな…。
えらい浅い感じの文章になってるのでそろそろやめます。
無事に起きられました…。やらかしそうでやらかさないところが、ぼくがこの年までクビにならずに、社会人生活を全う出来てる理由なのかも知れません…。

あまりにも非現実的なところに行くので、出張の行き帰りにアナイス・ニンの「ヘンリー&ジューン」(ずいぶん昔に借りて借りっぱなしになっている本…。すみません、いずれ返します!)を読みながら行きました。人の気持ちって、こんなふうに、一瞬一瞬で変わるんだ…って思うと、ああ、自分は狂ってない、って、ずいぶん救われます。人の日記ってホントに面白い。そして勉強になります。昔の日記、消さなきゃよかったな。あれはあれで、確かに自分自身だった。読みながら思ったんだけど、そろそろぼくは決めなくてはならない。もう少し自分の感情をきちんと制御して、少しのことでは揺るがない「理性」的な生き方をするか。日々上から下まで揺れ動く暴れ馬のような感情を、これが自分だと認め、正面から向き合って、ある意味「野生」的に生きてゆくか。どっちかな。いずれにせよ、あまり人を巻き込まないようにしなければ…。

5月19日の日記

2011年5月19日 日常
明日は4時半起きなので、寝ないでいようかと思ったけど
気がついたら寝てた!そして寝過ごした!!ってことになりかねないので
少し眠ろうかと思います。2時間は寝られるかな。
果たして起きられるだろうか。
最近大きな失敗をやらかしてないのでそろそろ…と
もうひとりの自分が自分に期待しているので、寝ます。
おやすみなさい。



5月18日の日記

2011年5月18日 読書
「時間などというものはなく、ただ現在があるにすぎない」
最近ずっと頭から離れない考え方が、この本の中にも記されていた。
ヘンリー・ミラーが「南回帰線」を書いたのは、今のぼくと同じ年。
今この本を読んでいることに、何かの意味があるのかも知れない。
(意味はないんだよ。この世界が存在することに意味がないように。)

「南回帰線」にはまた、エックハルトの言葉も引用されていた。
「私には確かに神が必要だ、だが神もまた私を必要としている」
…カッコいい。

上がったり下がったりのこの気分を何とかしたい。
きのうまでは天高くまで上がっていたのに、いまは底まで沈みきっている。
大丈夫、病気じゃないから。このところ毎日こうだから。
仕事は出来てるし(たぶん)、人ともうまく話せてるから(きっと…)。

おそらく、ぼくは強欲すぎるんだと思う。
誤解を恐れずに言えば、ぼくは苛立ってる。
自分の才能のほんの一部しか使われていないことに。
大部分は顧みられてすらいないことに。
それを自覚しながら、何もせず、ただただ年日を重ねてゆくことに。
すべてを手にすることができないことに。
モラルに殉じる生き方をしよう、と思いながら、
気がつけば正反対の生き方をしてしまっていることに。
神に近づこうとして、その実どんどん神から遠くなっていることに。
ぼくの傷はすべて、ぼくが誰かにつけたものと同じだ、
こんな痛みをぼくは自分を愛してくれた人たちに強いてきた、
だからぼくは、あのサソリと同じように、神に向かって祈らなければならない。

「どうか神さま。私の心をごらん下さい。
 こんなにむなしく命をすてず
 どうかこの次には
 まことのみんなの幸(さいわい)のために
 私のからだをおつかい下さい。」

ああ、何て空しいんだろう、
言葉だけの祈りは。
ぼくは快楽を捨てられない。
ぼくの身体は、自らの快楽のためだけ、に使われる。
みんなの幸せのためであっても、痛みの中で生きることは出来ない。

ねえ、どこへ向かってる?
どんどんスピードが上がってる気がするよ。

成長しない…

2011年5月15日 読書
電車の中で「エックハルト説教集」だの「神の慰めの書」だの真剣に読みふけっているぼくは、明らかに怪しい人間だと思います。しかしクリスマスでもないのに何でこんなにも真剣に「神についての言葉」を探しているのかとつらつら考えてみるにその答えは簡単で、要するにぼくが「言葉」の中に「救い」を求めているからということ以外何でもなくて、「言葉では真実は語れない」と言うことを日々実感して生活しているぼくが何でまたこんなにも安易に言葉に救いを求めてしまうのかと言うと、これまた答えは簡単でぼくがとても弱ってしまっているからで、おいおいしっかりしろよ自分!とも思うのですが、いつの頃からだろう、ぼくの心の中には大きな空白があるということを自分でも自覚し、その穴を埋めるべく恋愛だったりSEXだったり仕事だったりボランティアだったり様々なことを試みてきたのですが心の空白は埋めがたく、そうだいずれ大人になって世間と折り合いがつけばこの空白は埋まるかまたは空白のことを忘れてしまうか出来るのだろうと何となく放置したまま過ごしてきたのですが、気がつけばその空白は年を追うごとにどんどん大きく埋めがたくなっていることに気づき慄然とするのです。いつかこの空白は埋まるのだろうか。それとも忘れてしまえるのだろうか。空白を絶望と言い換えた時、人は死を考えるのでしょうが、幸いぼくには空白と絶望は違うもののように感じられるので死ぬことはないでしょう。そんなわけで、エックハルトの
「すべてのわざは神に近づくためだけになされるべきである」
という言葉に、少し癒されたりしている毎日です。でもまあ80パーセントはちんぷんかんぷんで読み飛ばしてしまっているのですが。





…っていう、2005年1月に書いた日記が出てきたのですが、
6年経って、まったく同じことをしている自分が笑えてきます。
どんだけ成長してないんだ…。



こんな時間。

2011年5月14日 音楽
もう少ししたら会社に行かなくちゃ。
4月に入って日曜日は昼夜逆転みたいな生活を送ってます。
でも午後からが有意義に使えるからいいか。
しかしマタイ受難曲はいいですね。
仕事がむちゃくちゃはかどります。
リヒター指揮のを目の前で聴いてみたかった…。
いま聴くとしたら誰の指揮のがいいんでしょうか。

しかし指揮者って不思議だなあ。
一流と二流以下を隔てるものは何なんだろう。
ディープピープルでやってほしい。すでにやってるのかな。


昔、「あなたには神がいないから、私とは根本的に違うんだ」と
言われたことがあります。
「あなたは自分を神にしようとしている」とも。
そうなのかな。
「世界を細部まで描きたい」とは思うけれど。
そんな大それたことは、願ってない気がするんだけれど。
ただ、「不幸でなければ、狂ってなければ、モノが作れない」
というふうな、ティピカルな思考法からは抜け出したい。
幸福でいて、安らかでいて、それでいてモノが作りたい。
それって甘えかな。
どこにも行かないでいい人間でいる、ってそういうことだと思うんだ。
違うかな。

「南回帰線」読んでます。
面白い。仕事の合間しか読めないから全然進まないけど、すごく刺激的です。


暑い…

2011年5月14日 日常
これで25℃とかって真夏はどうなるんだろう。
今年は冷房も効いてなさそうだし。
環境省もスーパークールビズですか?
アロハOKだけど、龍とか虎がついてるのはNGって
ちょっと笑いました。
会議で真面目に討議されたのかなあ。
「虎はダメでライオンはいいのか」
「ライオンは品があるからいいんじゃないでしょうか」
とか。頭のいい人たちのそういう会議って見てみたい気がします。

3・11からずっと、自分の内側の世界に閉じこもってきたけれど、
ようやく外側に目を向けられるようになってきた気がする。
痛みを分かち合うことは大事だけれど、それだけでは生きていけないよね。
ああ、旅とかしたいなあ。外側が見てみたい。
想像力の限界を超えるような、世界の外側が。


世界は自分の中につくるもの、ではないよ。
世界は自分の外側にある。
それを忘れてはいけない。

5月10日の日記

2011年5月10日 日常
なんかいま、いい感じに不幸だな。
でも、幸福、っていったい何だろう。

こうして夜中、仕事を終えてひとり家にいると、
ああ、絶望的にひとりだ、と思う。
でもそれは、自分で選んだことなんだ。
それを不幸と呼ぶのは、おこがましい気がする。

すべてのことに意味がある、としたら、
いまこうしていることに、いったい何の意味があるんだろう。
差し伸べてくれた、たくさんの手をふりはらって、
こうしてここにいることに、何かの意味があるんだろうか。
あるの?本当に?

ひしひしと、少しずつ切り裂かれ始めている気がする。

5月8日の日記

2011年5月8日 日常
疲れた、っていうか疲れてる。
「きょうは天気がよくて吐きそうです亅
って書いた、吉高由里子の気持ちがわかるような気がする…。

久しぶりに中野に行きます。
なんか故郷に帰る気分。
別に住んでたわけでもないのに、
そこに昔の自分がいる気がする。


友だちに「サドが面白い!亅って熱く語られたので
読もうかと思うんだけど、何から読めばいいんだろう。
「悪徳の栄え亅?「閨房の哲学亅?
悩んでます…。
「ソドム亅は高校時代に読んで
ついていけなかった憶えがあります。
童貞だったしな…。


ああ、空が青い。


光のほうへ

2011年5月4日 日常
自分でもわからない。
たぶん、光だけ見て暮らすことも出来た。
なのに、どうして闇の方に魅かれるんだろう。
どうして。

アメリカのディズニーランドの「白雪姫」の館では、
入ってすぐ二階の窓に「白雪姫のまま母」が現れ、
観客ひとりひとりに何かをささやいて消えるという。

ほとんどの観客が気づかずに通り過ぎるこの仕掛けは、
ウオルト・ディズニーが強くこだわったアイデアだった。

まま母は何をしているのか。
彼女は、訪れる客ひとりひとりに、呪いをかけているのだ。

たぶんウオルト・ディズニーは、
闇があるから、光がより輝いて見える、ということを知っていた。

それと同じことをぼくは望んでいるんだろうか。
最後に光のほうへ行くため、敢えていま、闇の中を歩こうと?
ベアトリーチェに導かれたダンテのように?

そうじゃない気がするんだよね。

ぼくはたぶん、光より闇に、調和より混沌に魅かれている。
それは親のせいでも、誰かのせいでもなく、ぼく自身の「性」のせいだ。

認めなければ。
けれど、心のどこかで期待している。
この「闇」が、「世界」を作り変えることを。
あるいは、より「完全」なものにすることを。
ぼく自身の「世界」を。

そういえば6月に公開される「光のほうへ」は面白そうです。
見てみたい。


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