いてて

2009年10月13日 日常 コメント (2)
帰ってきました。
たまに俯瞰で見るのもいいですね。
留守の間にオープンになった自分の担当プロジェクトが
よくも悪くもいろいろ反響があって、
それをリアルタイムで体感できなかったのが少し残念ですが。

行きの飛行機で変な寝方したみたいで、右肩が全然上がらなくなってしまいました。
毎日少しずつ痛くなって、ついに服に袖を通すとき声が出てしまうくらいに…。
帰ってきてからますますひどくなって、今も左手だけで打ってます。
何もしなくてもずきずき痛むのでお風呂に入ったら痛みが増してしまった…。
薬局で薦められて買ったセデスを多めに飲んで寝ます。
痛くなったらすぐセデス。
おやすみなさい。
猛烈な台風
ってホントに凄そうですよね…。
風速54メートル以上のをそう呼ぶんだって。
http://www.bo-sai.co.jp/typoon.htm
日本に近づく頃には少しは小さくなってればいいな。
台風とかって身近にいると体感できるんだけど、
離れてるとわからない分心配がつのりますね…。
この前の台風で実家の屋根が飛んだばっかりだし。
みなさん、どうか気をつけてお過ごしください。

もうすぐ10月
ですね。そろそろ来年のことを考えなければ、ということで来年上半期のスケジュール帳用に、無印良品のA5の白いノートを買いました。月~金は1ページ一日、土日でもう1ページ、というふうに書き込んでいくと、ノート1冊で大体半年になるので、すごい使い勝手がいい。しかも資料とか全部挟んでおけるので情報の管理もたやすいし。ここ3年くらいこればっかり使ってます。

バックオフィスの人と飲んでて、「現場の人はやりたいことやって偉くなってずるい」というふうなことを言われた。そんなふうに考えるんだ…ってちょっとびっくりした。この会社にいることが「やりたいことをやってる」ってふうにはならないのかな。ならないか。総務や人事がやりたくてウチの会社入ってくる人なんていないもんね。でも、ぼくらがホントに「やりたいこと」やってるか、って言うとそれも疑問で。大体会社員がお金もらって「やりたいこと」をやるってありえるんだろうか。アーティストじゃあるまいし。

ちょっと前にパイロットの人に会って、
「何をいちばん大切に考えて仕事をしているのか」
を聞いたときに、その人はこう答えた。
「お客様を快適に、安全に、目的地までお連れすること」
ぼくらの仕事も一緒だと思うんだ。お客様を、快適に、安全に、目的地までお連れすること。違うことはぼくらのお客様には「明確な目的地」がないということで、でも必ず「潜在的な目的地」はある。それを求めてお客様はメディアに接触する。癒されたいとか、笑いたいとか、寂しさから解放されたいとか、頭よくなりたいとか。ぼくらはいつも「お客様の潜在的な目的地」はどこなのかを考えなければならないと思う。「自分が行きたい場所」や「自分が連れて行きたい場所」ではなく、「お客様が行きたい場所」へ。ぼくらはしばしばそれを間違える。うまくまとまらないけどそんな気がする。最近特に強くそう思っている。

じゃあ、「お客様」って誰なのか?ぼくはその答えをサリンジャーの「フラニーとゾーイー」の中に見つけて、ずいぶん楽になりました。もしその部分で悩んでる人がいたら、よかったら読んでみてください。

・ご無沙汰しております。

・「サマーウォーズ」よかった!何の予備知識もなく行ったんだけどすごく惹きつけられた。思ってた話と全然違った(「凹村戦争」みたいなのを想像してたので)けど、想像を絶するくらいよかった!って何の説明にもなってなくてすみません。

・「高校生クイズ」よかった!特に準決勝の開成VSラサールは圧巻だった。「太陽の寿命を求めなさい」って問題をみんなが必死に大きな紙の上で解き明かしていくところなんて、両方見た人にしかわかんないだろうけどまさに「サマーウォーズ」そのものだった!ちょっと泣いた。

・出張帰りの飛行機の中で、ビリー・ジョエルのドキュメンタリーを見た。ペンシルバニア大学で、学生の質問に答えたり自作の背景を講義しながら歌ったりしていくんだけど、その中にこんなセリフがあった。

「きみたちは進路に迷っている?銀行員もいいなあとか、学者も捨てがたいとか、コンピューター業界もいいなあ、とか。だとしたら、きみはアーティストにはなれない。アーティストは迷わないんだ。アーティストは常に内側からほとばしるものに突き動かされている。それ以外考えられないんだ。ほかのものになんかなれない。それは、“愛”に似ているかも知れない」

アーティストにはなれないなあ…。

・写真は人にいただいた本。なんだか曇り空に日が差すような気分にしてくれる一冊です。救われる。おすすめ。


「人間を撮る―ドキュメンタリーがうまれる瞬間」(平凡社)
男同士、花火。
週末、会社で仕事してたらどん、という大きな音が。
近くにいた後輩と顔を見合わせ「花火だ!」と、
窓のあるミーティングスペースへ。
綺麗だった…。
そのまま1時間以上、男二人で花火を見ました。
しかし花火ってすごいエンターテインメントだね。
目で花火を見て、耳で音を聞いて、鼻で火薬の匂いを嗅いで、
焼きそばとか食べて、誰かと手をつないで。
五感のすべてを駆使するエンターテインメントで、かつ
ライブでなければ意味がない。
江戸の人ってすごいモノを思いついたもんだよね…。
なんてことを明かりを消したスペースで男ふたりで語り合いながら
エンディングまで花火を見て、頑張らなきゃな、と言いつつ席に戻ると
のりピーが出頭してました。
そこからはテレビにくぎづけ。たけしさんの出てるTBSの番組を
最後まで見て、ニュース見て…。そうこうしてるうちに終電。帰らなきゃ!
何しに会社来たんだか。そんな感じの週末でした。

最近、奈良に行きたくてたまりません。
いろんなお寺とかも見たいけど、特にまもなく東大寺近くに開店するという
「イ・ルンガ」というイタリアンに行きたくて!
今月の「料理王国」に載ってるから見てみてください。
阿修羅もそうだけど、奈良、熱いよね。
奈良ブーム、来る前に行っときたい。ってか絶対行く。

熱いと言えば…。
六本木ヒルズのTSUTAYAに行ったらサミュエル・スマイルズの
「自助論」って本がおススメされてたのでついつい買いました。
あとがきによると、「西国立志編」として明治時代に出版され、
ベストセラーになった本の新訳だとか。確かに、維新青年たちの心を
たぎらせるような熱いフレーズが目白押しです!
中でもぼく的にヒットだったのは、「声の大きいヤツが得をする」のは
仕方がないことなのだ、ということを説明するたとえとして使われていた、
「ほえる犬の方が眠った虎より役に立つ」というフレーズ。なるほど!
ここのところ何かに熱くなることがなかったので、これを読んで少し
「熱い」夏を送りたいです。ええ、勿論仕事で…。


その企画書を見たとき目眩がした。
ああ、これだった!って。

鉱脈を見つけた気がして、ずっと掘っていた。
たぶん誰も気がつかないだろうと思って、ゆっくり、ゆっくり。
でも書いても書いてもなかなか掘り当てられなくて、最近ちょっと
はじっこの方に追いやって、思い返さないようになっていた。
そしたらきょう会議で、
ぼくが掘ろうとしていた場所を見事に掘り当てた企画書に出会った!
しかもぼくが可愛がっていた元事務系の、異動してきたばかりの後輩の!

悔しい。真剣に悔しい。
なんでこの企画書を書いたのが俺じゃなかったんだろう、と思う。
まさにそこだった、すごいよY!そうだよな、そこしかないよな。
ああ、もっと早く気づくべきだった。気づけない切り口じゃなかった。
たぶんもっと本気で、真剣に掘っていたらたどりつけた。
あいつよりずっと早く。
っていうか、自分以外の誰かがこの鉱脈に気づくなんて思わなかった。
そして、それこそが最大に愚かだった。

マズイな。仕事に本腰入れないと。
このままだと終わってしまう。
自分が少しずつ遅れてゆくのがわかる。
マラソンランナーがどんどん引き離されてゆくみたいに。
悔しいと思えるうちに何とかしないと。
何も思わなくなったらホントにお仕舞いだ。
ああ、いろいろなことにかまけすぎた。
焦るなあ…。とにかくがんばります。

ちなみに最近スゴイ!と思ったのは康本雅子さんとお笑い(?)グループの禅。
康本さんの仕事は最近すごく高いレベルが保たれています。
ゆずの「いちご」の振り付けもスゴイ!
ダンサーとしても復活するみたいだから見てみたいです。
「禅」はたまたま仕事で行ったお笑いライブで見たんですが
これも身体能力がハンパないです!
しかもすべての動きが「笑い」につながっている。
レベルの高いことをやってるのに敷居が低いのもスゴイ。超おススメ。
サブカルはどこに行ったんだろうとずっと思ってたんだけど、
たぶんこの近辺を掘ればまだまだ出てくる気がしています。
自分が掘るなら今度はさくさく掘ろう…。
おいしいごはんを食べさせてもらうことが増えた。
そこで2つ3つ、アイデアの卵みたいな思いつきを披露すると、
相手は喜んでまた次のごはんに誘ってくれる。
そしてぼくがしゃべった思いつきを、数日後には誰かが紙にしてくれる。
ぼくはただそれにかたちだけの「直し」をいれ、右から左に動かすだけ。
ダメになるよね、これじゃあ。
ぼくの企画が最近粗いのは、誰のせいでもない。
この楽な状況にどっぷりつかってしまった自分のせいだ。

「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」      (「夜長姫と耳男」坂口安吾)


今ならまだ、間に合うかもしれない。
とりあえず、今度の締め切りに、全力を尽くそう。
         


買ってる本からしてクリエイティブから程遠い。
・「1兆円稼いだ男の仕事術」
・「イノベーションの新時代」
・「スーパークラス」
・「伊勢神宮」
何になりたいんだろう、自分は一体…。

情報には「密度」と「強度」があると思う。これまでは活字が「密度」を、映像が「強度」を担うことでふたつのメディアが共存してきた。しかし、映像メディアは徐々にその「強度」を失いつつある。それはおそらく、映像が「強度」にあまりにも依存してきたから、そして「強度」が製作者の努力によってではなくただメディアの特質によって得られたものであるということを省みずにここまでやってきたからだと思う。さらに「密度」の維持はメディアにいい意味の緊張感を持続させることが出来るという点で有益だけれど、「強度」の維持はモラルの崩壊をもたらしかねないし、少なくともメディアとしての価値を維持、向上させることにはつながらない。映像は今後「密度」を持ちうるのか。さらなる「強度」を求めて自滅するのか。それとも第3の道があるのか。いずれにせよ今が正念場だ。

なんてことを考えるのは、依頼されて書いている自分の原稿があまりにもすかすかだから。「密度」が全然足りない…。しかもあと2000字も残ってる…。とりあえず、明日考えよう。




どんどん日にちだけが過ぎてゆく気がして、とりあえず更新。

日記だけじゃなく、文章というものが書けなくなっている気がする。企画書の文章も最近粗い。いや、文章だけじゃない。企画自体も粗い気がする。たぶん日々の仕事に流されすぎていて、自分の頭で新しいことを生み出すということがきちんと出来ていないんだと思う。「働いてるだけじゃプロにはなれない」って昔誰かに言われたことをもう一度肝に銘じよう。すべてが中途半端なのに、下手にキャリアだけは積んでるから問題なくこなしてるように見えるのがかえってよくない。

ああ、パソコンの調子が悪くて変換が遅い!思考の速度に全然ついて来なくて思考が中断される!これもイライラの原因の大きな要素だよね…。

とにかくすべてがうまく回り切らない。
プールの中を歩いてる感じ。

あたまの中とかに溜め込んだことをその時々でアウトプットしないと、この先何も生み出せない気がするので、これからは少し真面目に文章を書いてゆこうかと思います。くじけるかもしれないけど。

神楽坂はこのところ夜になると毘沙門天の境内で阿波踊りの稽古をしててにぎやかです。来週末は「神楽坂祭り」。晴れるといいですね。

とにかく、少しずつ、少しずつ。




思いつき

2009年4月8日 日常
社会の進化はAから一直線にBになるのではなく
A→A’を経てBにいたることが多いように思える
cf) 封建主義→プロテスタンティズム→資本主義

で、往々にしてBから最も遠く見えるものがA’である
そしてA’はAからも遠く見える
つまり

   A’
 /  \
A     B

このAからもBからも遠いA’のエネルギーこそがAをBに導く
爆発的なエネルギー「ブーム」はAをBに導く前触れである




cotorich

2009年4月6日 日常
来てますね!
ついついクセになって寝不足です。
どこが最初に乗っかるかなぁ…。

困った…

2009年3月25日 日常
これくらいの時間から頭が冴えてくる毎日が続いている。
当然午前中は使いものにならない。
会社員としてどうなのか、それは…。
とりあえず「管理職」としてのミッションはあとひとつ。
それが終わったらしばらく新しい企画を考えよう。集中して!

知らなかった!

2009年3月22日 日常
とろけるチーズじゃなくてもとろけるということを!
とろけるチーズを買おうとして間違えて普通のスライスチーズを買って、
きょうパンを焼こうとして(とろけないけどまあいいか)と思って
パンにスライスチーズを乗せて焼いたらすごくとろけた!
ってかとろけるチーズより全然おいしい!
でも考えてみればチーズがとろけるのは当たり前で、
「とろけるチーズ」じゃないスライスチーズはすべて「とろけないチーズ」だと
思っていた自分の愚かさ加減よ…。
頭が悪すぎてくらくらしました。
「ねぎま」は「ねぎ」と「ま」に分かれていると思っていた知人を笑えない…。

3月が終わる

2009年3月22日 日常
いろんなことがあった3月が。

そろそろ会社をやめられるようにしておかなければならないと思う。
やめる予定もつもりもないけれども、たぶんクリエイターを駒として
使い捨ててきた時代はまもなく終わる、国もそれをサポートしようと
さまざまな動きをしている中で、組織の中で(いつ滅びるかわからない)
階段を昇るのと引き換えにクリエイティビティを手放していった先輩たちのように
「従業員」として生きるのはあまりにもリスクが大きい。
たぶん「従業員」はこれから先も使い捨てられ続ける。今そうであるように。

せめて、いつ会社をやめても生きてゆけるように。
枯れないクリエイティビティを手にすることができるように。
もう少し高い階段を上らなければならない。もっともっと高い階段を。
春からの課題にしたいと思います。
結局のところ、仕事のモチベーションは「次の仕事」で保たれるのかも知れない。
きょう、新しい企画の依頼が舞い込んできて、後ろ向きだった気持ちのベクトルが
反転するみたいに前向きに変わった。
「やってください」って言われること以上に意気に感じることがあるだろうか。
認めてもらったお礼は結果で返したい。締め切り的にはキツイんだけど、
どうせ月曜締め切りの企画書は日曜までとりかからないつもりだったし、
あさって締め切りのがひとつ増えたからってそう負担にはならないと思う。たぶん…。

しかしことごとく仕事日記になってるなあ…。
あ、最近仕事関係の会食でココ↓に行ったけどすごくおいしかった!
http://www.son-seijun.com/
麻婆豆腐は絶品でした。コストパフォーマンスも悪くないと思います。おすすめ。


なんか疲れた…

2009年3月9日 日常
童話の中のおじいちゃんみたいに静かに穏やかに暮らしたい。

椎名林檎は高校時代に(たぶん)同じようにバンドをやっていた彼氏がいて、
当時書かれた曲の多くはその彼氏に向けて書かれている。
彼女は椎名林檎としてデビューを果たし、彼は果たせず福岡に残った。
彼は思っただろう、「彼女には才能があり、自分には才能がなかった」と。
でも、最近思う。
絶対的な数値で測れるもの以外に、才能なんてものはたぶん存在しない。
存在したとしても、大した意味を持たない。
差を分けるものは、覚悟だけだ。
表現をどこまでも突き詰める覚悟。
そのために自分を追い込む覚悟。
生活のすべてを表現のために充てる覚悟。
それは同時に、走っている途中で死ぬ覚悟でもある。

きのう全然書けなくて、一日ぼんやりしていたら、テレビで
「ぼくが嵐じゃなかったら」ってCMをやっていて。
CM自体は、ぼくは例え嵐じゃなかったとしても夢を追い続けるだろう、って
前向きな内容だったけれど、ぼくにはそのフレーズだけが浮いて残った。
「ぼくが嵐じゃなかったら」。
「ぼくが“ぼく”じゃなかったら」。
なぜかはわからないけれど、急に疲れてきた。
夜が明けても、その疲れは残っている。

いまの状況を書き残すとすればこんな感じです。



理屈に合わない気がする。
男が女の子にチョコあげるのって、
フツーじゃね?

あとこの表紙とコピー、久々にぐっと来ました。

時間が足りない

2009年2月6日 日常
この時間になると毎日
20個くらい「やり残したこと」がある気がする。
しかも毎日3つくらい新たに「やり残したこと」が増えてゆく。
あしたは23個になってるかな。
5つくらい減らして18個にしたいな。
でも20は減らないんだよ。
その20はイメージの20だから。

ある日突然「やり残したこと」がなくなるといいな。
そうしたらもう。

つかれたー

2009年2月5日 日常
なんか一日が終わると精神的にぼろぼろです。
でも今ぼろぼろじゃない人なんているのかな。
がんばろ。
私はひとりでは生きてゆけない、
というのは正しくないと思う。

私はひとりでは存在し得ない、
のだと思う。

私は、
他者が存在するから私として存在するのだ。

ひとりで生きているこの個体は、
私ですらない。

< 6 7 8 9 10 11 12 13

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索