やらかした…。
起きたらこんな時間に。
飲み過ぎて最後の方は記憶があいまい。
「飲み過ぎて、逆に自分はしっかりしていると思いこむ」
という状態に久しぶりになってしまった…。
週明けから、いろいろと勝負が控えているというのに、これでいいのか。
まあ、いいか。

メモ。


・「何をなすべきか」とか言い出した段階ですでに見失ってる。
 やりたいことがないなら、やめてしまえばいい。

・「さよならポニーテール」にまんまと乗せられてしまう自分がイヤ。

・NODA MAP、昔みたく、ただただ美しい言葉が連なる舞台はもうやらないのかなあ。
 「THE BEE」、テーマが前に出過ぎててつらかった。

・娘と映画「仮面ライダーVSスーパー戦隊」を見にゆく。
 これがブリコラージュだ!ムダなお金は使ってません!って感じの、ステキな映画だった。
 「アキバレンジャー」といい、特撮がいままた爛熟期を迎えたような。

・きょうはおとなしく精算したり先々のことを考えたりしたいと思います。
 最近本も読めてないし…。
きのうは飲み過ぎてしまって、起きたら11時半。
けさの仕事絡みのイベントに行けなかった…。
相変わらずダメすぎる。
明日はちゃんと仕事に行こう。

夜は友だちに誘われ浅草吉本でテンダラーのライブへ。
めちゃくちゃレベル高かった…。
こういう「深い芸」を持った人の受け皿が、
「マス」の世界になかなか見つからないのが残念。

そういえば「ザ・フォール~落下の王国」を途中まで見た。
友だちと飲みながら朝3時くらいから見始めたので
頭に入ってこなくて途中でやめてしまったけど、
すごくよさそうな映画だった。
ベートーベンの7番の第2楽章が使われてたんだけど、
ほかのどの映画よりもぴったり合ってた気がする。
http://www.youtube.com/watch?v=o6X15CuTUeY

書くことの切迫感、について考えている。
あるきっかけで死刑囚の往復書簡を読んで以来、
これほどまでに「書きたいもの」が自分にあるだろうか、と。
考えているうちにイヤになって飲んでしまう。
ダメだなあ…。
シャーリーズ・セロンにつられて、「ヤング≒アダルト」って映画を見る。
その日は「なんてバカ映画を見てしまったんだろう」と思ったけど、
昨日あたりから、この映画が言いたかったことがちょっとわかる気がし始めた。

要するに、
「主人公が最初から最後まで成長しない物語もアリなんじゃないか?」
ってことなのかも、と。
人はそう簡単に成長なんかしない。
歳月をただただ重ねてゆく中で、何かをあきらめた人を「大人」と呼び、
あきらめきれない人を「子供」と呼ぶ。それだけの話だ。
そういう考え方もある。

あ、そう考えると主人公が最後の方に言った
「あなたは残りなさい」ってセリフは、心のこもったアドバイスじゃなくて、
「何言ってるの、あんたにはムリよ」ってことでしかないのかもな…。
見終わった時はどっちだかわからなかったけど、今はそんな気がする。


ことしの桜はキレイだったみたいですね。
タクシーの中からしか見られなかったけど、
いつもより「あ、見た」って満足感がありました。少しの時間でも。


きょうなぜだかもう真夜中みたいな気がします。
寝ようかな。
ホントはそろそろ企画書まとめなきゃいけないんだけど…。
おやすみなさい。




・最近いらっとするフレーズ
 「釈迦に説法ですが」。
 他部署の後輩が、こちらの専門領域に触れるお願いをしに来る時、
 前置きとしてこのフレーズがつくことが最近多い。
 誰が言い出したのか知らないけど、
 「釈迦じゃねーから!」
 と言いたくなります。大人なので言わないけど。

・きのう乗ったタクシーの運転手さんが超怒っていた。
 「千鳥が淵に行っても上野に行っても、桜の木の下で手をつないで歩いてるの、
  20代の女と50代くらいの男のカップルばっかりですよ!
  この国はどうなるんだ!」
 …そ、そうなの?!!がんばろうかな…。

・20代の男性著名人に話を聞きに行った。
 イケメンですごくスタイリッシュだった…。
 世代が違うな、って感じたのは、この子たちはたぶん、
 「見られる側としての自分」を幼い頃から意識してきたんだろうな、って
 ことが、しぐさとか、反応とかにすごく現れてたこと。
 「男は他人の目なんか気にするな!」って言われて育った旧世代の
 我々とは全然違うな、と思った。いいと思うよ。優しいし、気遣い出来るし。
 空気読めずにひたすら自分のことをしゃべりまくる我々世代の男達より、
 余程「生き物」としては進化していると思う。
 ただ、一緒に行った、会社の30代女子はご立腹でした。
 「ほんっとに草食でしたね!あんなのとヤるくらいならぱでぃさんとヤりますよ!」
 …ありがたいけど結構です…。
 

3月27日の日記

2012年3月27日 日常
仕事が終わらない。いまようやくひとつ大きいのが片付いて、
明日は朝6時に起きて出社。これまた結構なヤマがひとつ。
うまく切り抜けられたら、たぶんいい結果が出るとは思うんだけど。

なんか、結局また仕事に耽溺してる。進歩がないな。
同じところを行ったり来たりしてるみたいだ。

今から寝ても3時間か…。もう起きてようかな。
これから寝て起きられる自信がないよ…。
なんか思いっきりジャンクなものが食べたい。
テリたまとか、塩ケンタッキーとか、天下一品とか、なか卯の親子丼とか。
たぶん今から外に出たら、どれでも食べられるんだろうな、ケンタ以外は。

やめよう、自殺行為だ…。
とりあえず横になって空腹を堪えるか。
いや、もしそれで寝てしまったら取り返しのつかないことに…。
などと、どうでもいい感じの午前3時です。



3月21日の日記

2012年3月21日 日常
企画書、締め切り間近。

会社で仕事しながら考えてたんだけど何も思い浮かばなくて、
はたと思った。
「きょうが最後」だと思ってやってみよう、と。
現場にいるのはきょうが最後、明日から別の部署に行かねばならない、
あるいは、きょうを最後に仕事をやめなければならない、
のだとしたら、最後に、どんな企画を出すだろう、って。

で。考えて、考えて、考えて、考えて。


…寝てしまった。椅子で、熟睡。

つくづくダメ人間です…。


そういえば、きょう思ったんだけど。

「全然企画書が通らない人」って2種類いて。
1つは、「寄り」のカメラしかない人。
もう1種類は、「引き」のカメラしかない人。

「寄り」のカメラしかない人は、
毎回自分が面白いと確信する企画を出すんだけど、
それが残念ながら往々にしてズレてる。
しかも、企画書の幅が狭い。
こういう人は言っても直らない。
だから、通らない人は、一生企画が通らない。
でも、逆に「天才」とか言われてる人もこっちなんだよね。

もう一種類の「引き」しかない人は、言っても全然企画書を出して来ない。
たまに出しても1、2本しか出してこない。
「引き」しかないから、自分のダメさが「客観的」にわかってしまう気になるのかな。
でも、彼らが「客観」だと思ってるものは、実は「客観」じゃないんだけどね。
「引き」という名の「主観」でしかない。
っていうか、「客観は存在しない」ってわかればいいのにな、って思う。
そこまで親切じゃないから教えないけどね。

いい企画出す人は、大体「引き」のカメラと「寄り」のカメラ、両方持ってる。
でも、そのバランスは人それぞれで。
けど、見てると、一流って言われるような人は、
大体「寄り」4:「引き」1くらいの割合で、カメラが存在する気がする。
んで、「寄り」はどこまででも寄れるし、「引き」はどこまででも引ける。
そんな感じ。

ぼくはちょっと「引き」のカメラの台数が多いかな。
もうちょっと「寄り」を増やさないと。
あと、カメラの精度ももう少し上げないと、勝負出来ない。

とか、あまり生産性のないことをあれこれ考えた一日でした。

さ。そろそろ書き始めなきゃ。朝になってしまう前に。

3月14日の日記

2012年3月14日 日常
夜中、ひとりでラーメン食べてたら、
有線からジュディマリの「くじら12号」が聴こえてきて、
思わず聴き入ってしまった。
やっぱりいい曲は何度聴いてもいい…。

たぶん、もしジュディマリがいま新人だったとしても、
この曲ひっさげて出てきたら、間違いなく売れると思う。

何て言うか、想像上の音階のはるか上を行ってるんだよね、音が。
いっときの小室さんの曲(「I’m proud」とか「いとしさと切なさと心強さと」とか)
がそうだったように。

たぶん、素人でも出せる範囲の音域なんだと思うんだけど、
こうだろうな、と思う音階の想像を超えてて、それが気持ちいい。
小さなエクスタシー、みたいなのを感じる。

ふと思ったけど、それって、仕事にもあてはまるかも。

いい意味で、買ってくれる人の期待を裏切る。
期待値の、はるか上を行く。
で、気持ちよくしてあげる。

言うは易し…、だけど、目指したいと思います。

ジュディマリがそうであったように。

3月11日の日記

2012年3月11日 日常
やっと3月11日が終わりますね。

あの日を境に、いろんなことが変わってしまった。
実感としては、自分を含めてぼくのまわりの多くの人たちは、
まだ「3月11日以降の世界」を生きている気がする。

いつか、「もはや“3月11日以降”ではない」
って言える日が来るんだろうか。
来るといいですね。

3月10日の日記

2012年3月10日 日常
感動するんだけど、この熱さを、ずっと前から持っていられたら、閉店しなくて済んだんじゃないだろうか、とも思ったり…。
http://matome.naver.jp/odai/2133116863723467701

ぼくらの仕事でも、「終了」が決まった途端その「商品」の売り上げが突然伸びたりすることがよくある。いや、そんな商品の方が圧倒的に多い。もしかしたら、エネルギーの出し方の問題なのかな…。

日頃100%の力を出して仕事をしてる気がしていても、結局は70くらいの力でエネルギーを出し惜しみしていて、結果アウトプットが「どこにでもあるフツーの商品」になってしまっている、それが「終了」という、いわば「余命までカウントダウン」の状態になると、初めて本来持ってた100%の力が発揮できて「キラキラした他とは違う商品」を生み出すことが出来る、みたいな。

結局は、怒りとか、悲しみとか、無力感とか、喪失感とか、大きく揺れ動く感情がなければ、「感情を揺さぶるモノ」を作り出すことは出来ないんだろうか。心静かな状態で、そうした「感情の振れ幅」みたいなものを、人為的に起動させることは出来ないんだろうか。終わりを迎える前に、「本気のフェア」をやることは出来なかったんだろうか。とか。あれこれ考えてしまいます。

明日は3月10日ですね。心静かに、弔いの準備をしたいと思います。



いま悩んでること。

・カネフスキーのDVD-BOXを、Amazonの「ほしいものリスト」に入れてるんだけど、3日に1本くらいの割合で売れていく。最初は「残り20本」だったんだけど、いまは「残り15本」に。見たいのは「動くな、死ね、甦れ」だけなんだけど、この機会を逃すと二度と買えないかも知れないし…。残り10本を切ってから買うか、そろそろ買うべきなのか、でも9000円って、衝動買い出来るような値段でもないし…。すごく迷ってます。

・あとは、14日まで?の「5億円宝くじ」を買おうかどうか。並んでまで買おうとは思わないけど、空いてる売場から当たりは出ない気がするし…。っていうか、確率からして当たるはずはないんだけど、買わないと絶対当たらないし…。うーん。

・あとは、
 新しいi-padを買うか、どうか。
 仕事を抜けて原美術館に行くか、否か。
 ヒューゴか、ドラゴンタトゥーか、どっちを見に行くか。

あたりを悩んでます。

3月3日の日記

2012年3月3日 日常
整理すると。

・心がぐらぐら揺れている状態よりも、心おだやかな状態の方が気が楽なのは、自分でもわかっている。

・けれど、「食べて、寝て、耕して、それで幸せ!」みたいな生活は現実には得られないし、ぼくが生活するためには、今いる場所でなにかを「生産」するしかない。そして、心おだやかな状態では生産なんてできない。

・心おだやかな状態とは、たぶん、身の回りのことすべてが言語で説明できるか、あるいは、言語で説明できないことが存在することが気にならない、という状態だと思う。その状態では、欠けたものは何もない。

・ものを生産するということは、たぶん何らかの「欠けたもの」が目の前にあって、その欠けたものを埋めようとするか、あるいは「そこに欠けたものがある」ということを提示することで、共同体に貢献しようとする作業なのだと思う。

・そのためには、欠如を認識しなければならない。そして、いったん欠如を認識してしまえば、人は平静ではいられなくなる。

・ぼくが、心穏やかな状態を求めながらも得られないのは、たぶん、いつもなにかを生産しようとしているからだと思う。それをやめればいいのかもしれない。でも、そうしたらぼくには他にすることがない。「ぼくがぼくでなくなる」ことは別にかまわない、けれど、することがないまま、残りの人生を過ごすには、人生はあまりにも長すぎるように思える。

・だからぼくは、このまま続けるしかない。心をぐらぐら揺らしながら。ようやくその覚悟が出来た。とりあえず、これから月曜日締め切りの「宿題」にとりかかります。明日は仕事だからあと6時間は考えられるかな。


血を吐くやうな 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉つてしまつたもののやうに
そこから繰れる一つの緒もないもののやうに
燃ゆる日の彼方に睡る。

私は残る、亡骸として―
血を吐くやうなせつなさかなしさ。


夏 / 中原中也




3月2日の日記

2012年3月2日 日常
おわってしまう前に、見ておきたいもの。
あるいは、見ておかなければならなかったと、
もし見逃したら思ってしまいそうなもの。

映画「ヒューゴの不思議な発明」
http://www.hugo-movie.jp/
スゴク見たい。けど、コレは見られるな、たぶん。
春休みのあいだやってそうだし。

映画「世界最後の壁画3D 忘れられた夢の記憶」
http://www.hekiga3d.com/index.php
試写会にご招待いただいてたのに行けなかった…。
3週間限定だから油断すると終わってしまう。
監督はヴェルナー・ヘルツォーク。

ジャン=ミシェル・オトニエル回顧展「マイウエイ」
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
原美術館で3月11日まで。
土日は混むだろうから平日かな。
仕事を寄せて、空き時間がどれくらいできるかが勝負だ…。

あ、もうすぐ「バクマン」17巻が出る!
最近のぼくのモチベーションは
「バクマン」の新妻エイジ先生によって保たれてる気がします。

「次に僕が描くマンガには、亜城木先生は勝てないです。
 亜城木先生には教えといてあげます。次に描くマンガは…
 ジャンプで1番じゃなくて、世に出たマンガで1番のマンガです!」

カッコいい…。


友達に言ったら驚かれましたが、生まれて初めて誕生日を好きじゃない人と過ごしました。
仕事相手の方との打ち合わせですが。いままでどんだけ恵まれてたんだ、って話ですよね。

会社で急遽ビジネス系(←この言い方ですでに、ついていけてないの丸わかりですが)のプロジェクトを立ち上げることになって、ビジネス関連の本を読み漁っています。もうね、驚くほど速く読める。そして、読み終わったあと何も残っていない…。助けて、って感じです。

大体、フレームワークだか何だか知らないけど、わかりきったことを短い言葉にして置き換えてるようにしか思えない。現代国語の穴埋め問題みたい。ラカンのいう「象徴界」の閉じられたサークルでゲームをやってるみたいで、「現実界」の裂け目の、言語化できないものに関しては、見事にフレームから外してある。それでホントに新しいことができるのか?あるいは、現実の人生のたった1日でもフレームワークで乗り切ることが出来るのか、心の底から疑問ですが、修行だと思ってやってみます。点はあとからつながる、ってスティーブ・ジョブズも言ってたし。

おいしいカレーうどんが食べたいです。
あ、目黒行こう。

2月26日の日記

2012年2月26日 日常
本を整理してたら「ひとり村上春樹(再)読書会」みたくなって、「羊をめぐる冒険」とか「ダンス・ダンス・ダンス」とか「ねじまき鳥クロニクル」とか、読み続けてしまいました。伝票整理しなきゃなのに(←まだ終わってないのか!)…。

読んでて思ったけど、村上春樹がこれだけ長きにわたって愛されるのは、出てくる登場人物のひとりひとりが、それぞれに魅力的だというところも大きい気がする。1シーンだけしか出てこない登場人物も、描写がすごく細かくて、立体的にすがたかたちとキャラクターが浮かんでくる。同じことをガルシア・マルケスにも感じました。ひとりひとりのキャラクターを主人公にしたスピンオフが書けそうな感じ。ま、いい小説はどれもそうなんでしょうけど。

中でも女の子はそれぞれに魅力的に思えて、ぼくの女性の好みはもしかしたら村上春樹によって作られたのかも…と思えるくらい。特に、ユミヨシさん(「ダンス・ダンス・ダンス」)と笠原メイ(「ねじまき鳥クロニクル」)が素敵でした。あんまり「女性の物語」として読んだとこがなかったので記憶に残ってなかったんですが、改めて読み返すといろいろとツボにはまる描写がありました…。

ちょっと4年前の日記を読み返してたら、仕事ばっかりしてた…。ああ、この頃の貯金でいま食べられてるのか…って、当時考えてたことはいまの自分が読んでも新鮮でした。っていうか、4年前の自分ってこんなこと考えてたんだ!って、全然覚えてないことにもびっくりで。やっぱりいろんなこと書き残しておくべきだなあ、って改めて思いました。

明日こそ伝票全部処理しよう!そして次のステップへ!


222だ。
なんだかうれしい。


きのうはべろんべろんになって寝てしまって、
朝起きて手帳を見たら「9時~人間ドック」って書いてあって、
大急ぎで病院へ!

すっかり忘れてて夜中まで飲んでたから(内緒ですが)、
どんなひどいことになるのか…
と思いつつ、終了後、結果を聞いたら、

「すべて健康です!問題ありません!」

どんだけ丈夫なんだ、自分…。
これだけ不摂生な、ダメダメな生活を送ってるのに、
体重とかちょっとだけだけど減ってるし、視力も両目裸眼で1・5だし、
血圧も低いし、肝臓も丈夫だし…。ホントに親に感謝です。

これに油断せずまっとうに生きようと思います。少しは。
マッサージに行きました。
ずいぶんほぐれました…。
あと友達に誘われてヨガを始めました。
結構面白い!
次は気功教室行ってみようかな。

2月17日の日記

2012年2月17日 日常
不思議なことに、仕事が忙しくなるにつれ、飢えとか乾きみたいのがぴたりとおさまった。結局は隙間を埋めたかっただけなのかな。

ある建築家の人と仲良くなって、いろいろ話してたら、同じような制作上の悩みを抱えてることがわかって、興味深かった。ジャンプしたいですよね、今の場所から。同じところをただ横に移動してるだけな気がするんですよ。違う場所に行きたいんです。それも、生活の延長線上にある、違う場所に。ぼくもずっと、同じことを考えてた。たぶんみんな、同じ場所で行き詰ってるんだろうと思う。

東京事変のラストツアーライブに横浜アリーナへ。ファンクラブ抽選でチケットが当たったものの、正直、行こうかどうか迷ってた。今回もがっかりさせられたらどうしよう、また同好会みたいの見せられるんだろうか、とか。でも最後だから、と思って行ったら、素晴らしかった。なんていうか、本気の椎名林檎を久しぶりに見た。何だろう、あのオーラ。もしかしたらオーラって、観客と対象の共犯関係で成立する「共同幻想」なんじゃないか、って最近疑い始めてたんだけど、間違いだってことに気づいた。絶対的に光を放つものって、本当に存在する。

あとは「ヒミズ」を見ました。書いたっけ?反芻すればするほど、二階堂ふみが素晴らしかった映画だった。たぶんぼくは、まっすぐ光を放つものが好きなんだと思う。

随分と自分を取り戻せてきました。自信満々にふるまえる。もう大丈夫。たぶん。

2月11日の日記

2012年2月11日 日常
ぼやぼやしてたら仕事がおろそかになってたので、今週は仕事三昧でした。結構取り戻せたと思う。ただ、新しいことは出来てないかも。週末きちんと考えよう、新しい企画。気がついたらもう2月も半ばになろうとしてるというのに、どうも去年までの貯金で食べてる感が拭えない…。

ただ、いろんなことが早くなったとは思う。処理のスピードとか、判断とか。仕事始めた時はこんなんでお金もらう資格があるのかどうか真剣に悩んだけど、いまは多少は貢献出来てる気がする…。あとはどうやって自分自身の時間を作り出すか、だな。

ヘンリー・ミラーがアナイス・ニンを必要としたように、ピカソが多くのミューズを必要としたように、男というものは、女性が見ていてくれなければ何も出来ないんだろうか。そうじゃない人もいるよね、きっと。そうじゃない人になりたい。

2月6日の日記

2012年2月6日 日常
この本を読んでて。
世界は、断片の集積だってことに改めて気がついた。
ひとつひとつの断片をどう積み重ねるか。
その作業が、世界を豊かにも、貧しくもする、ということに。

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