10月21日の日記

2014年10月21日 日常
そしてもう10月。
しかも20日。
何やってたんだろうこの1年。
停滞としか思えない。

あとから振り返った時、
あれはあれで意味があった、って思えるような
時間だったりするのかな。

うーん。

もっといろんなことを形にしなくては。
忘れてゆくことや消えてゆくことばかりだ。


ふと思ったこと。

長く続けると同じではいられない。
たとえば、勉強だって継続的に続けているとできるようになる。
結果として「偏差値が上がる」。

これって、商品開発とか、エンターテインメントの世界にも
あてはまるんじゃないだろうか。
つまり、続けると、意図せずして
「偏差値が上がってしまう」。

勉強と違うところは、
受け手や買い手は、必ずしもそれを望んでない、ということ。

初期の、わかりやすい歌詞、王道のメロディラインは影をひそめ、
オリジナリティあふれる、カッコいい楽曲を作れるようになる。
でも、商業ベースでいえば、以前ほど売れなくなる。

商品も、出し続けるたびにバージョンアップし、
どんどん高機能、高性能になる。
けど、そうなったからと言って必ずしも前より売れる訳ではない。
いわゆる「イノベーションのジレンマ」ってこういうことなのかな。

進化し続ける必要はない。
ただ、古くなってはいけない。
新しくて、成長しない。

「マス」を目指すにはそういうものを作らなければならない。







どうやったら自分を好きになれるのか、いまだによくわからない。

最近ハマってるでんぱ組ink.のリーダーりさちーがある番組で、
「ずっと自分が大嫌いだったけど、最近ようやく“好きじゃない”くらいになった」
って語ってて、
もうもらい泣きですよ。
わかるよりさちー!
おんなじ気持ちだよ!
みたいな。

結局自分を好きじゃないところから他人を信じられなくなって、
自爆したり、自暴自棄になったりでいろんな人を傷つけて、
好きだった人を自分から遠ざけたりしてしまって、
いっとき精神科も通ってみたけどそれじゃ解決しなくて、
結局自分を好きになることでしか問題は解決しないのかな、と思うけど、
自分の中に自分を好きになる要素が全く見い出せず、
ただただ仮面をつけて別の人格になりきって仕事をこなすしかない、
そんな状況が続いていて。

いつかは自分を好きになれるのかな、
それとも仮面に乗っ取られて何も感じなくなるのかな。

みたいな。

そんな全然成長しない毎日を送っていますが皆さんお元気ですか?
暴風雨や猛暑が、皆さんに危害を加えませんように。お祈りしてます。


7月23日の日記

2014年7月23日 日常
いろいろうまくいかないことが多すぎて気が滅入る。
結局7月中に京都に行くのも無理そうだし。
お祓いにも行けないくらい、アクシデント多発、心配事多し。
何から手をつけたらいいのかよくわからない。
こういう時はスピノザでも読み返そうかな。
スピノザによると、世界は喜びとかそういう感情で維持されていて、
ポジティブな感情を持つことでしかポジティブな世界は維持できない、
みたいなことが書いてあった気がする。エチカの後半?
読み返すと少しはポジティブな気持ちになれるかな。
なんでもいいからちょっと気持ちを立て直さないと。
このままネガティブスパイラルに落ちると
たぶん戻ってくるのに時間かかるからな…。
よし!「エチカ」読もう!
何よりまず「エチカ」がこの家のどこにあるのかというのが
大きな問題だけど。
あ、会社かな…。

今週は仕込み週

2014年7月13日 日常
勝負週無事終了。
結果がわかるのはまだ先になるけど
感触は悪くない感じ。
うまく行くといいな。

月末にいろいろな締め切りがあって、
今週はそれに向けての仕込み週。

最近ようやく文章が安定してきた気がするので、
きちんと課題に向き合おう。

来週はたぶんかなりあわただしくなるから、
今週のうちにやれる部分は先回りしてやっておきたい。

この年になるとほかのことはもう矯正できないかもしれないけど、
仕事だけはストイックに。
自分を甘やかさないように。

勝負週

2014年7月7日 日常
今週は5つくらい大きな勝負が。

もちろん全部仕事です。

これから始まる仕事と、ずっと続けてる仕事、
それに始まるかも知れない仕事が3つ。

この3つはなんとか成立させたいなあ…。
この場所にいられるうちにやっておきたい。
そんなわけで、いろいろ資料を読み込んでいます。

結局、いろんなものを手にしようとして、失って、
いま手元に残っているのは仕事だけだというね。
まあ、好きだからいいんですが。

でも、それ以上に好きなものを、早くかたちにしないと。
どんどんタイムリミットが近づいて来てる気がする。
精度を高めよう。
純度を高めよう。
もっと突き詰めないと。
行けるところまで。

京都に行こうと思います。
7月は、祇園祭を見に日本中の神様が京都に集まるそうで、
何年か前、7月に八坂神社でお祓いしてもらったら
まるで霧が晴れるように運がめちゃくちゃ好転したので。
最近(基本自分のせいですが)やたらよくないことが多発しており、
この辺でちょっと流れを変えたいです。

あと、安井金比羅宮にも行ってみたい!
日本最強の怨霊ともいわれる崇徳天皇が悪運を断ってくれる、
という、やたら魅かれる言い伝えがあり。
友人がコレ↓くぐったら運がめちゃくちゃ好転したそうで。
http://www.yasui-konpiragu.or.jp/stone/
アップで見るとなかなかのビジュアルですが…。
とにかく、開運スポットなら何でも巡りたい。
すがれるものには何でもすがっときたい感じです。

あと、コレが見たい!
http://imaonline.jp/ud/exhibition/53968ac7b31ac96d3b000001
アピチャッポンさんというタイのアーティストですが、
ものすごく魅かれるものを感じます。
行くべきだ!と誰かにささやかれてる感じ。

そんなわけで7月は何とかして京都に行く隙間を作りたいです…。


大雨ですが皆さん大丈夫でしょうか。
日本はこのまま亜熱帯化してゆくのかな。

気がつけば最近飲みに行くのが男同士ばっかり。
今週3回飲み会ありましたが全部男同士だった…。
少し年下の女友だちと話しても女同士の会が多いって言ってたし、
まわりを見回してもいっときに比べて
「同性でつるむ」人たちが増えてる気がする。
そういう年齢なのかな。まあ気楽ですからね…。
結局日本では「カップル文化」って根付きませんでしたね。
バブルの頃はそうなるのかなと思ったけど、
リーマンショックが大きかったのかな…。

でも、男同士でひとつ不便なのは
「温泉に行けない」ってとこですね…。
女同士で温泉旅行とか、女おひとり様温泉旅行って
何の違和感もないしむしろ楽しそうなのに、
「男同士で温泉旅行」ってちょっとしづらい気がする。
なんだかねえ…。変な目で見られる気がして。
意識しすぎかもしれないけど。

ジャニーズとかでCM打ってくれないかな。
「中居&稲垣はじめての温泉ふたり旅」みたいな。
そしたらもしかしたら空気変わるかも。
あ、男同士でも温泉行っていいんだ!みたいな。
ならないか。

ああ、温泉行きたいなあ…。結構疲れた…。

4月8日の日記

2014年4月7日 日常
・最近ずっと洋楽ばっかり聴いてたんですが、久しぶりに「ゲスの極み乙女。」にハマりました。特に「キラーボール」という曲。心躍ります。一見めちゃくちゃ変化球っぽい雰囲気ですがやってる音楽はど直球で相当レベル高いと思います。

・颯子さんが日記でおすすめしてた「空が灰色だから」(これもハマりました!)を読んだ時も思ったけど、いま「新しい」感じの表現って、外側はメタで内側はベタ、って感じのものが多いような気がします。いつの時代もそうなのかな。

・新しいと言えば、今度公開の映画、人気コミックが原作らしいんですが、「好きっていいよな」ってタイトルとしてベタすぎるんじゃないかな、福山〇治の歌じゃあるまいし…って思ってたら「好きっていいなよ」でした、正しくは。そうだよね…。人に言わなくてよかった。

4月5日の日記

2014年4月5日 日常
最近は「でんぱ組ink.」にハマってます。
WWDとWWD2が特にぐっとくる。
ももクロとかと一緒だといえば一緒なんですが、
前向きな気持ちになれます。
なれたから前向きな行動をとれるかと言えば
それはまた別モノなんですが。

出来たら一日家にひきこもって本読んでたい。
「世界十五大哲学」(PHP文庫)面白いから
3回くらい繰り返し読みたい。
読み終えたら次は「管理される心」をゆっくり読みたい。
一行一行自分のことに置き換えながら。
現実的には明日も9時から仕事なんですが。

疲れたな。
もうひとつ。

「坊ちゃん」は
ハッピーエンドではない。
「坊ちゃん」は滅びの物語だ。
「坊ちゃん」は校長たちを「成敗」した後、
東京に戻り、都電の運転手になる。
もはや「坊ちゃん」ではない。
「惡」は滅びない。
「坊ちゃん」は新時代の正義を代弁しておらず、
「古き良き時代」の遺物でしかない。
現実社会に「坊ちゃん」の居場所はない。

恐ろしいほどに今の日本に似た閉塞感を、
「坊ちゃん」「三四郎」「それから」
までの漱石作品は描いているように思う。
「ストレイシープ」とつぶやく美禰子は
自分の何かが終わってゆくのを感じているし、
都電の中で「ああ動く、世の中が動く」と
大きな声でひとりごちた代助は
「終わりの始まりの祝祭」を感じている。
いまの言葉で言えばちょっと中二病入ってるけど。

漱石が病気にならなければ、
「門」はあんなふうな作品にはならなかったんだろうな、
という気がする。
漱石もまた自分自身の切実さを抱えて
「書くことで救われた」作家だったんじゃないかな。
サリンジャーみたく。

4月3日の日記

2014年4月3日 日常
頭の体操。

AKB永遠のセンターだった前田敦子さんが、
ソロになってからライブハウスも埋められないという記事。

AKBだった頃の前田さんは、
ひたむきで、いつも笑顔で、よく泣いて、とにかく一生懸命で、
そして幸せそうではなかった。
でも、AKBをやめてからは、すごくリラックスして、
幸せそうに見える。

だからといって、それを、
人々が、満ち足りた者よりも満たされない者を愛するから、
と結論づけてしまうのは簡単すぎる気がする。

たぶん、AKBにいた時の彼女は、
物語を背負っていたんだと思う。
3次元の物語。
人々は、生身の彼女の一挙手一投足を、
リアルタイムの物語として消費し、熱狂した。

しかし、AKBをおりてしまった彼女には、
背負うべき物語がない。
自分と地続きの「現実」にいる存在であるように思える。

そう考えると、ももクロも、でんぱ組も、ジャニーズJrも
物語を背負っている。
「ここではないどこかへ」
「7人でしか見えない夢がある」
「こんなところで終わるわけにはいかない」
「あと何歩前に出ればまばゆい光にたどり着けるのだろう」
など。

ジャニーズJrのファンが、
対象のJrがデビューして人気が出たりすると
ファンをやめて別のJrの応援をしたりするのは、
そういうことなのかな、と思う。

で、
2次元をベースに、けれどARのように
受け手の主観の中では3次元に拡張し、
リアルタイムで熱狂してもらえるような、
そんな物語を作り出すにはどうすればいいか、
ということを、しばらく真剣に考えていきたい。
そのためにも、もっともっとストイックに生きてゆかなくては。

そういえば、ことしの誕生日は、
ぼくが人生でいちばん好きな小説が、
日本でいちばん好きな作家によって翻訳され
文庫化される、という記念すべき日でもありました。
ある意味最高の誕生日プレゼントでした。

サリンジャー「フラ二―とズーイ」、村上春樹訳。
何度も繰り返し読んだ野崎訳「フラ二―とゾーイー」
と違って引っかかりなくすらすら読める感じで
(野崎訳の「これ以上話せないよ、きみ」も好きでしたが)
小説世界そのものにすっと入っていけたからか、
自分がなんでこんなに厭味ったらしくて、
場面転換もなくて、登場人物がずっと演説ぶってるだけの
小説を、ずっと宝物のようにして繰り返し読んできたのか、
ようやくわかった気がしました。

「フラ二―とズーイ」は、
「救いの言葉」の物語であるとともに、
誰かが誰かを「救おう」とする「宗教的行為」の物語で、
もちろんその内容にも心打たれるのだけれど、
もうひとつ、この物語は、
たぶん作者であるサリンジャー自身にとっても
自分自身を「救おう」とする物語になっている、
だからこそこの小説には、
「書くことの切実さ」があふれている。
こんなにも切実に「自分自身のために」書かれた物語を、
ぼくは他に読んだことがない。

うまく言えないけど、そんなところに、
ぼくはずっと魅かれているのだと思います。
好きすぎないくらいに好きにならないと
うまくゆかないのかも知れないね、何事も。

先日50になりました。
想像できない。
っていうか軽すぎるだろ、いくらなんでも。

ということで、50を機に生き方変えようかと思います。
娘も無事に大学合格したことだし。

むかしここに
「たったひとつの大切なものを守れれば
 残り99はどうなったってかまわない」
と書いた、
ぼくは「たったひとつの大切なもの」を守れているのだろうか、
そもそも、
そんなものを持ち合わせているのだろうか。



とか考えてたら
あと1か月で大台じゃん!!
どうする???

あっというまに

2014年1月22日 日常
テレビで1982年の映画やってて、
お、最近のじゃん!って思って見てたら
内田裕也が髪の毛真っ黒だった。
え?と思って調べたら、当時内田裕也は40代前半。
いまの自分より全然年下。
そうだよね。
1982年って、いまから32年前なんだよね。
なんだかつい最近のような気がしてたけど。

ずっと時間の針が止まってた気がする。
認めなきゃ。
時間の針は止まってないってことを。
あっというまに過ぎてしまったし、
たぶんこれからもあっというまに過ぎてゆく。

急がなきゃ。

節目の一年になると思います。

って、何だよ。
突然そんなこと言い出されても困るんだけど。
どうせ人生仕事が9割だよ。
けど、働き始めた頃は
「月に3日も休むなんてありえない」って世界だったじゃん。
誰がこんな体にしたのよ…って気分だよ。

ということで無理にでも代休取らなきゃいけなくて
エライ人たちが帰るまで会社に近づけないので
都心をうろうろしてました。
でも映画見る気にも何となくならず。

そんなわけでふらふらと神保町に行ったら
明日からの古本まつりがすでに始まっていて、
むせかえるような古本の匂いで
気絶しそうなくらい幸せでした。
岩波文庫のどうしても手に入れたい絶版本リスト、
持って来ればよかった…。

とりあえず小品をちょこちょこ買って
喫茶店でコーヒー飲みながら読んでたら
あっという間に日が暮れたので
会社に行って
「俺はきょういないから」
と言いながら仕事してました。
でもいい一日だった気がする。

そんなに感情をかき乱されることもなく、
ただただ穏やかに一日が過ぎて行って。
そうか。
映画とか見ると感情がかき乱されるもんね。
なんか、もういいや。
強い喜びも、強い悲しみも、いまはいらない。
どうせこれから先、
いくつもの強い悲しみを、
嫌でも味わわなければならないのだから。

願わくば

2013年10月27日 日常
こんな日に死にたいな。
こんな穏やかな秋の日に、
雲ひとつない青空に目を凝らすと、
銀色に輝く飛行機が
ゆっくり進んでゆくのが見えて
ああ、どこにも行けなかったなあ、
とか、
そんなふうに思いながら死にたい。

別に今すぐ死にたいわけではなく、
春より秋の方がいいなあ、って
ふと思ったのです。


ネバーランド

2013年10月19日 日常
最近酔って記憶をなくすことが多く、
話した内容をケータイにメモってるんだけど、
きのうのメモの中に
「7月7日 熊の鼓動」
っていうのがあって、
しばらく何のことだか思い出せなかったんですが、
さっき思い出しました。
来年7月7日、
「熊野古道」が世界遺産に登録されてから10年、
だか何だかのメモリアルデーだそうです。
そんな話でした。
でもいいワードだな、「熊の鼓動」。

きみが笑うから

2013年10月8日 日常
日曜美術館の録りためたやつ見てたらめちゃくちゃテンション上がった!
若くして踏切事故で亡くなった、石田徹也さんって画家の特集で、
VTRの作りはちょっと中二病入ってる感じで微妙だったんだけど、
作品のパワーがとんでもない!ビンビン来る!
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/0929/index.html

あと創作ノート!

「聖者のような芸術家に強くひかれる。
 一筆一筆置くたびに、世界が救われていくと本気で信じたり、
 羊の顔の中に全人類の痛みを聞くことのできる人達のことだ 」

素敵だ…。

いま足利で作品展やってるんですが、
絶対行こうと心に誓いました。

テレビ見て刺激受けるってめちゃくちゃミーハーですが、
ちょっとこれは久々アンテナ立ったな…。

あと、BGMで流れた曲がやたらよくて、歌詞検索したら
buck numberの「たいせつなこと」って曲でした。
タイトルはその曲の中のフレーズから。

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