Sick of being told
 最近なぜかサンドイッチ作りに凝っています。
深夜、無性にコンビーフとキャベツを炒めたサンドイッチが食べたくなって、近所のセブンイレブンに駆け込んだら千切りキャベツとコンビーフがあったので買って帰っていったん寝て、さっき作って食べたらそこそこおいしかったです。キャベツは千切りでも何とかなったけどパンがイメージとちがった。6枚切りじゃなく8枚切りのほうがよかったな。
 あんまりフォトジェニックな姿じゃなかったので画像はもうひとつはまっている「京都風玉子サンドイッチ」。NHKの「京都人の密かな愉しみ」ってドラマで作り方をやってたので真似して作ったら意外においしくて、そこそこの頻度で作っています。
 こういう生活で十分幸せ。近所においしいパン屋さんも出来たし、読みたい本は読みきれないくらいたくさんあるし、それ以上望むものが何かあるだろうか。自分でコントロールできないものに期待しても仕方ないし、残りの人生は自分で自分をコントロールして生きていこうなんて、しみじみ思うおだやかな秋の日の朝です。
サニーデイサービスの新しいアルバムがめちゃくちゃいいですね。
去年出てたの最近まで全然知らなかった。
アンテナ立ってないなあ…。
結構雑誌とかネットとかチェックしてるつもりなんだけど全然抜け落ちてた。

リアル店舗に行かなくなったからですかね。
昔から気をつけようと思ってたけど、
自分の好きなものだけで世界を満たしてしまうと、
逆にどんどん世界は狭く息苦しくなる。
外に出なくちゃな。
すっかり出不精になって休みの日もひきこもってるし。

最近どっか行ったかなあ…。
あ、コールドプレイのコンサートがめちゃくちゃキレイでした。
語彙が貧困で申し訳ない。
とにかくキレイだったと言うしかないくらいキレイだった。

あと「帝一の國」もハマった。竹内涼真惚れた。

小説は昔のばっかり読み返してて。
何回めだ「坊ちゃん」みたいな。
しかし読めば読むほど「坊ちゃん」と村上春樹の「蛍」は
このくらいの枚数の小説の中の最高峰だという思いが強くなります。

「坊ちゃん」なんて第一章いきなりダイジェストから始まりますからね、
主人公の人生の。で、第2章で1シチュエーションの舞台劇で登場人物紹介、
第3章で見えない敵目線の隠し撮り的カメラワークのサスペンスで
主人公の世界が揺るがされ、第4章で第一の敵と対峙しカタルシスを得る、
しかし本当の敵はほかにいるというイヤな感じが残る…みたいな感じで、
第5章になったらうってかわってゆったりとしたテンポで
ロングショットによるビューティーカットの連続ですから。
なんだコレ。
110年前に勝手に小説世界完成させてんじゃねえよと言いたくなる感じです。

でも「蛍」はしばらく読んでないなあ。
アマゾンポチろうかな。

あ、これがダメなのか。
明日本屋行こう。




5月31日の日記

2017年5月31日 日常
5月31日の日記
豆天玉。徳島県民のソウルフード。
お好み焼きに金時豆が入っているのです。
ここで食べられます。
http://www.hayashinookonomiyaki.com/
この前帰った時は空港まで弟が迎えに来て、
病院の面会時間まで
車で街をあちこち案内してくれた。

歩いて近所を回った時には全然変わってないと思った故郷も、
車で回ればいろいろ新しいものが出来ていて面白かった。

「ここがあるからスタバはいらない(弟談)」
というおしゃれなカフェとか
(ウチの故郷にスタバはないのです…)
川の下流にかかった、目の前に海が広がる大きな橋とか。

「すごい橋だったなあ、あれ」
「そうなんだよ。キレイだろ」
「昔は古い鉄の橋しかなかったもんな」
「いつの話?あれから3つくらい新しい橋が出来てるよ」
「そうなんだ!!」
「うん。橋ばっかり作ってる。
 橋なんかいくつ作っても、どこにも行けないのにな」
そう言って弟は少し笑った。

最近心が動いたあれこれ。

映画はララ・ランド。
賛否両論ですがぼくは好きでした。
なんの情報もなく見ましたが、画面の雰囲気から
最初からそういう話だろうと思って見ていたので、
オープニングから胸がしめつけられるような気持ちでした。

音楽だとチェインスモーカーズ、サチモス。
切なくていい感じです。一時「昼っぽい」音楽が好きでしたが、
(ケイティ・ペリーとか)
最近また「夜っぽい」音に魅かれています。

ステージだとコールドプレイ。
とにかく映像的、というかハリウッドの恋愛映画のハッピーエンディング
みたいな瞬間がずっと続く、終わって欲しくないステージでした。

テレビは相変わらずBSと教育テレビばっかり見てます。
最近だとBSでやってた「欲望の民主主義」がよかった。
番組の世界観にやくしまるえつこのナレーションが合ってて、
ああ、世界の終わりがはじまったんだなあ、
たぶん200年前も
そして100年前もそう思ったように、
っていう気分にさせられる、素敵な番組でした。
勤め始めてからずっと、サラリーマンの最大のストレスは自分で自分の運命をコントロール出来ないことだという思いを抱いていたのですが、親のことやその他もろもろあって、この歳になってようやくサラリーマンであろうがあるまいが、人は自分で自分の運命をコントロールすることなど出来ないのだということに思い至りました。
自分でコントロール出来ることがあるとすればそれは自分自身だけ…
ということで昨年夏からダイエットを始め、ようやく大学を卒業した時の体重まで戻すことが出来ました。落とした体重は約20キロ。スーツはぶかぶかになりましたが、昔のジーンズとかTシャツがゆるっと着られるようになったのはうれしいです。Tシャツにジーンズとかずっとあり得なかったもんな…おなか出てたから。
面白いことに、このスタイルをキープすべく生活しているうちに、永年の懸案だったストイックな生活というものが実現出来てきました。三大欲求の中で最も大事なのは性欲です!みたいな感じだった過剰な欲求もすっかりおさまり、今はウオーキングの途中でいつもの坂を登りきった時に見える山並みみたいなビル群と、「おふろの王様」のこじんまりしたスチームサウナで汗を流すことが最大の楽しみです。
いつまで続くか、根がだらしないのでいつまた何かに溺れてしまわないとも限りませんが、この歳で自分を少しとはいえコントロール出来たことは、この先の人生の小さな自信になりました。たぶん、これからいままで以上に、自分ではどうしようもないことが毎日増えていくんだろうけど、まあ何とかなるかな、って。


父を連れて母が入院している病院に行った。
三人で、桜が散るまでには退院したいね、なんて言ってたら
主治医に別室に呼ばれた。



お元気ですか。

最近は特にここに書けるようなロマンチックな話もないのですが、
高齢の両親が少しずつ弱ってきていて、
かつ母の入院と同時に父の物忘れが日増しにひどくなっているので、
田舎に帰ることがけっこう増えてきました。

先日なんか父に介護認定の面接を受けてもらうべく手続きをしに帰ったら
父が「自分を証明できるもの」をすべて紛失してしまっていて。
そのままでは介護認定どころか病院にも行けないし確定申告もできないので、
市役所で住民票を出してもらって保険証の再交付をしようとしたのですが、
そもそも住民票は本人を証明するものがないと出せないとかで
完全に「詰んだ」状態になってしまい、
父とふたりで途方にくれかけたのですが、窓口の人たちがみんないい人で
保険証を再発行してもらえるように手を尽くしてくれ、事なきを得たのですが
もし市役所の担当が「ダメなものはダメ」みたいな人だったら
父はもう「誰だかわからない人」になっていたのかなあ、なんて
まるで「流れよわが涙と警官は言った」みたいな
けっこうエキサイティングな経験をしました。

でも自分の行為が直接的に誰かの役に立てているという点や、
あんなに傲慢だったり頑なだったりした両親が自分に対して
素直に感謝の言葉をくれたりするという点で、
最近の「里帰り」は全然苦ではないです。いまのところ、まだ。

生きてるといるんな経験しますね。
つらいことも、楽しいことも。







お元気ですか。

こちらはポリープ出来て切ったりしてました。

麻酔もかけず、意識も痛み(というか違和感)もあるまま、
内視鏡についたカメラをみんなで見ながらの手術だったんですが、
自分の臓器の中を生中継で見たの初めてでしたがすごかったです。
エイリアンみたいだった。

あ、これがポリープだね、
切りますよ~、
はい切れました、
薬塗りましょうね、
あ!
(あ??)
大丈夫!
あわてない!!
はい塗りますよ~

みたいな。
なんか自分のことじゃないみたいで。
面白い経験でした。


4月30日の日記

2016年4月30日 日常
何も進んでない。
どこにも行けてないし、
どこかに向かえてすらいない。

ずっとそんな日々が続いている気がしていて、
穏やかならざる気持ちになるのですが、
そもそも人はどこかに行くことなんて
できないんじゃないのだろうか、
だからいまだにプラトンとか2400年も前に
生まれた人の言葉をありがたがって読んでるんじゃないのか、
そして小田和正のベストがガンガン売れてるんじゃないのか、
とか考えてちょっと気持ちを落ち着けたりしています。
進歩しないな。
過去だけどんどん蓄積していって、
しかもどうにも整理のつかない過去ばかり莫大に蓄積していって、
抱えて死ねるようなものはひとつも残っていない。
まあそれはそれで。
あるがままに受け容れるしかないか。

 そのようにではなく現実生活を生きることもできるよ、バード。
 欺瞞から、欺瞞へとカエル跳びして死ぬまでやっていく人間もいる。

そうやって生きてゆくしかないかな。
絶望的に楽しい毎日だ。





お金もうけのことばかり考えている。

少し前に大きな異動があり、これまでの
「お金を使う側」から「お金をかせぐ側」へ。

あまりにも劇的な転換で一瞬茫然としましたが、
慣れてしまえばそれはそれでなかなかにクリエイティブで、
意外になじんで日々仕事しています。

つらい時はこの写真集を何度でも見て…と思ってデスクの引き出しに
しまってあるのですが、今のところは美しさを保ったままで。
たまに安定した気持ちで眺めては純粋に楽しんでます。

なんかでも、「仕事が趣味の延長線上」だった時代が終わったのは確かで。
そろそろこの先どうして生きてゆくか、本気で考えなきゃ…という感じです。
今さらか。

きのうから一日一冊本を読もうと思って。
きのうはラ・ボエシの「自発的隷従論」(ちくま惡芸文庫)を読みました。
16世紀に書かれた本だけど、なんかカズオ・イシグロっぽいというか、
すごいピュアな正義感と、見えてるのにあえて見えてないふりをしてる
「世間知」みたいのが共存してて、全然古くない、むしろ今だなあ、
って感想を持ちました。

で、いまはアンナ・カヴァン「氷」(ちくま文庫)を読み始めたとこです。

「私は道に迷ってしまった」

めちゃくちゃ魅力的な書き出しです。

このまま迷わせてほしい。
行ったことのないところに、連れてってほしい。

なんてね。







3月23日の日記

2015年3月23日 日常
だめだー。
企画書出したけど結局やっつけだった。
2つ出すと言ってあったんだけど、
本命の企画は結局書ききれず、
対抗に考えてた企画を本命にして、
もう1本は5年くらい前に途中まで考えてた企画を
リライトして出して何とか2本にした。
アマチュアか。

本命に考えてた企画(絶対書き切れれば面白いのは見えてる!)
は果たして今の自分に書ききることができるのかな…。

どう立て直せばいいのか、
どうしたら3年前のレベルに戻せるのか、
ちょっと今は思いつかない。
とりあえず飲みに行きます。

3月22日の日記②

2015年3月22日 日常
ばかみたいに企画書が書けてた2012年の自分と
いまの自分はどこが違うのか、日記を読み返してみたら
その頃の自分も「シリアス」をテーマにしてて
全然成長してない、っていうか同じところをぐるぐる回ってるなあ、
って反省した。
ただ、2012年の自分の方が明らかに文章のテンションが高いのと、
自分の身に起きてるあれやこれやをあるがままに受け止める「力」がある。

いちばん欠けてるのはそこかな。
なんていうか、いろんな感情に振り回されたくない、今は。
そこがモノを作ろうという人間としては
決定的にダメな部分だと思う。

どうしようかな。



3月22日の日記①

2015年3月22日 日常
3年前の自分に完全に負けてる。
3年前だったら楽に書けた企画書が
今はまったく書ける気がしない。
昔は書き始めれば木の中の仏を見つけるように
らくにゴールにたどりつけたのに、
いまはどこを彫ればかたちになるのかすらわからない。
限界かな。

3月20日の日記

2015年3月20日 日常
社交に追われて全然モノ書いたりできてない。
アイデアは浮かぶものの、全然広げられない。
ダメだなあ。
中学時代の夏休みみたく、
円グラフのスケジュール表でもつくらないと
この状況は改善できそうもないな…。

たぶんいろいろ欲しがりすぎてる。
わかってはいるんだ。
何かひとつを強く望むなら、ほかのことはなにも出来なくなるくらい
そのことだけに没頭しなくては、何も得られないということを。

いや、そうでもないな。

そんなストイックな人生を歩んでない。

ひとつしか選ばないみたいな生き方、してきてないもんな。
らしくねーんじゃねーのか(BYスラムダンク)。

要は優先順位の問題のはず。
優先順位がうまく設定できてないんだ。
やっぱ円グラフか。

立て直そう。
4月になる前に。

1月16日の日記

2015年1月16日 日常
もはや仕事中心じゃない自分が想像できないレベル。
人間変われば変わるもんだ…。

しかしもうひとつ軸を持ちたい。
ボルダリングなのか、太極拳なのか…
24時間って短いな。
読みたい本すら全然読めてない。
今夜中に「ラスネール回想録」は読み終えたいが
明日も早いし。

ひとりの時間の優先順位
1)書かなければならない企画書を仕上げる
2)自分がやりたい企画をかたちにする
3)読みたい本を読む
4)新しいことを始める

でもついだらだらネット見ちゃうし明日の仕事の段取り考えちゃうし
録りためたHDD見なきゃだしで
全然1)すら満足にできてない。
生活を改めなくては…。


「情報社会の情念」黒瀬陽平・NHK出版
 の内容をざっくりと、参考になったところだけを抽出すると

・ビッグデータ社会におけるクリエイティブで重要視されるのは
「プラットフォームの設計能力」と「運営能力」であり、
 個人の創造性はあまり重視されない。
 そこでは「受け手の快適さ」が徹底して追求され、
 従来の作り手、アーティスト型クリエイターにとってはまさにディストピアである。

・そうした状況を乗り越えるためには「プラットフォーム」を観察し、
 その外側に出るしかない。
 具体的には「らきすた」(プラットフォームを相対化する)や
 ディケイド (コンテンツでありつつプラットフォームでもある)のように
「運営の思想」に並び立ち交わる「制作の思想」を持たねばならない

以上のことを自分がいま抱えている課題にあてはめると、

1)現在のプラットフォームをディストラクトし、新たなプラットフォームを
 立ち上げないと未来はない。そしてそれを円滑に運営するためのマニュアルを
 構築することに自分のクリエイティビティを発揮しなくてはならない。
2)その一方で、そのプラットフォームは「外部」を持たねばならない。
 「変えられないもの」ではなく、「進化するもの」としての「破綻」を
 あらかじめプラットフォームの設計時点で確信犯的に組み込んで置かないと
 プラットフォーム自体の寿命があっという間に尽きてしまう。

そんな感じです。
後半の、寺山修司を例にこれからのクリエイティビティのプロトタイプを
論じてるところは正直よくわかりませんでした。
でも前半部分だけでかなり参考になりました。








ようやく仕事おさめ。
明日から3日間は休めるかな。

来年は
シリアス
を目標にしよう。

「村上龍映画小説集」の中に出てくる、
“生活は大切だけど、つまらないものよ、生活に対しては恐ろしく不まじめで、
詩に対してだけシリアスにならなくては、詩なんか書けるわけがないじゃないの”

的な意味での、シリアス。

年末年始に読みたい本。

・「地図と領土」(ミシェル・ウエルベック)
・「デ-タの見えざる手-
  ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」
・「ディズニ-ランド化する社会で希望はいかに語りうるか-
  テクノロジ-と身体の遊戯」
・「情報社会の情念-クリエイティブの条件を問う」
・「ラスネ-ル回想録-十九世紀フランス詩人=犯罪者の手記 」

よいお年を。




12月25日の日記

2014年12月25日 日常
ここ数年クリスマスは
毎年体調崩して寝込んでる気がする…。

ことしは頭の8割以上仕事のこと考えてて
全然自分のことができなかったな…。
大きな穴があいたまま進んでゆく船を
修繕しているうちに1年が終わった感じ。
まあ沈まないで年を越せるからよしとするか。

でも自分のスキルはまったく上がらなかった…。
頭の中でぼんやりとあるアイデアもアイデアのままで
かたちにならなかったし。

気になってる女の子と飲んだ時にそのアイデアを話したら
「それをかたちに出来たら何でもしてほしいことひとつしてあげますよ」
と言われたのがことしのハイライトでした…。

でも結局かたちにならなかった。
「そういうこと」もモチベーションにならないくらい
年取って枯れてきてしまったのかな…。
来年はがんばろう…。

相変わらずそんな感じの一年でした。


12月…。
いつもにも増してあっというまなんですが。
ひゃーって感じで。
やるべきことがまだ全然できてない…。
どうしよ。
この1年で去年より明らかにレベルが上がったことって
何かあるだろうか、自分の中に…。
まずいです。
ちょっと心を入れ替えて残り1か月過ごしてみます。
「オタクの人は脳内の時間が人より速い」らしいので
自分の中のオタクを最大限解放して。
この一か月。
やんないと!!
何にもやってねえこの1年!!

11月7日の日記

2014年11月7日 日常
きのう(6日)の夜、ちょっと気が重い会合があり、
昼くらいからああ、きょうはこれから長いなあ、と思ってたんだけど、
こうして一日経ってみるとあっという間だった。
実際そんなに嫌な会でもなく、むしろ勉強になったし。
そういうもんだよな。
気が重い一日もあっという間に過ぎる。
気が遠くなるような未来もあっという間に終わってる。
せめて明日に楽しみを見出せますように。
そして想像もしてなかった何かに出会えますように。
いまの時点で、まだ来ていない明日に。

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